2019→

昨年のこの頃はジルベスターコンサートの楽屋にいたので観られなかった、自分も演奏したN響の”第九”を観て、音の渦にいた時には気がつかなかった光景を思い返した。録音は云々といろいろあるだろうが、そもそも音楽というのはそこにしかないので後に残るものは記憶と結びつく”何か”でしかないのかもしれない。そういうところは写真と似ているかな。(写真は表現とか観る人それぞれに介入する権利があるが)

今年も残すところあとわずかと、どこかで区切りをつけるのは人の業だろうか。時を超えて残された数々の作品と、または新しく生まれてくる音を、自分の声とどう紡いでいくのか、課題は山のようだが楽しみだ。

どうか、あなたに良き音楽と素晴らしい日々がありますよう祈っています。

ベートーヴェン《第九》始まる

NHK交響楽団との第九が12/21から始まった。合唱の一員として音楽が出来る事を幸せに感じ、この環境に感謝するばかりである。

今年の指揮者はオーストラリア出身のシモーネ・ヤングSimone Youngで、ソプラノはスウェーデン出身のマリア・ベングトソンMaria Bengtsson、アルトは日本の清水華澄、テノールはオーストリア出身のニコライ・シコフNicolai Schukoff、バスはベネズエラ出身のルカ・ピサローニLuca Pisaroniと、多国籍な顔ぶれであることをプログラムを見て知った。

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《レクイエム》放送日など

ブログの中でも書きましたが、先日演奏しましたモーツァルトの《レクイエム》(トン・コープマン指揮、NHK交響楽団演奏)の放送日が出ておりました。遅ればせながらお知らせいたします。お時間がご都合よろしければご覧ください。

本公演でのマエストロ・コープマン。クラシック音楽館ホームページより

12月15日(日)21:00〜23:00 NHK Eテレ クラシック音楽館

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「静寂の中に」を終えて

シャンソン歌手の渡辺歌子さんが出演、制作されたコンサート「静寂の中に」に出演した(11/27)。ソロではルイジ・テンコの”Vedrai,vedrai”ウェストサイド物語から”マリア”、同じく出演歌手の竹下ユキさん、三戸亜耶さん、松村大治さん、ピエールさんと”谷間に三つの鐘がなる” “You raise me up” “Con te partiró”と、歌子さんの”鶴”の後ろでコーラスを歌った。

歌子さんとの出会いは、僕が2012〜15年の間ひょんなことからお世話になっていたシャンソニエ蛙たちでお会いしてからで、お店を辞めてからもご連絡をくださり、歌う事やワークショップなどの機会をくださった。たくさんの歌手、お客様とのお付き合いがあったが、僕にお店という背景がなくなってからもこうしてお付き合いがあるのはとてもうれしい。そして4人の仲間とまた歌う機会を与えてくださり大変な感謝である。

左からピエール、ユキさん、大治君、歌子さん、僕、三戸さん。後ろにギターの並木さん

音楽は静寂の中から、また静寂へと帰る美しい演出。

武満徹が戦争中に上官の目(耳か?)を盗んで聴いていたのはLucienne Boyerリュシエンヌ・ボワイエのParlez-moi d’amour(邦題:聴かせてよ愛の言葉を)だったというが、苦しい時代においても人々の耳の奥にあったフランスの歌の数々は、翻訳や訳詞の文化と結びつき日本の軽音楽を刺激しながら独自の”シャンソン”というジャンルを作っていった。

僕がその世界の薫りを記憶の隅に留めながら、今また新しいシャンソンを歌ったらする事があるだろうか(今回歌ったのは歌子さんからのリクエストと僕の歌える曲だったから出演できたのだけど。。。)クラシックでは滅多に味わえない、ステージの煙に光が屈折する様は自分が鏡の向こう側の違う世界へ向かう感じがした。

さぁ、12月。

新しい月の始まりは良い年を迎える準備をしたい。

2つのモーツァルト

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮によるモーツァルトが作曲したミサ曲ハ短調(K.427)をNHK交響楽団の演奏と共に終えた。(11月22,23日)マエストロが92歳、というのはこの演奏会には何の飾りにもならないが、自身の演奏活動と共にN響との40年近くにもなる長く、強い信頼関係は音楽の姿としてあった。

僕は2016年の同楽団によるベートーベンの”第九”で合唱として初めマエストロ・ブロムシュテットと演奏した。合唱の音楽稽古から、音楽に身を捧げる姿を目の前にし、作曲家、楽曲を間において僕達と絶えない会話をする様は今回も何も変わることはなかった。

10月10日に演奏した、トン・コープマン指揮による、同じくN響とのモーツァルトのレクイエムの経験がどこか繋がりを持つ。2つとも作曲家が完成し得なかった、神に捧げる曲としての音楽。

普段、いわゆる音楽におけるロマン派以降の楽曲を歌うことが多い者にとってはやや特殊なアーティキレーション(これは何と訳せば良いのか)をマエストロ・コープマンとの音楽で表現した。長い旋律線にかかる、強調された強弱、弦楽器が短く弓を当てるような息の使い方、ヴィブラートを抑えてハーモニーをより強く意識する事で得られる内省。個々人の技術によって、それらは音にする事が出来るが、指揮者からは表現にあたり「あなた方の心に触れてください」と言われた。その言葉は、頬に柔らかく風が触れる様に感じた。演奏する事は僕の生活の主たる事であるけれど、もっと根源たる、当前の様で、気づくとなんとも言えない幸せな思いがした。

今回のマエストロ・ブロムシュテット からは、歌手もオーケストラもテキストに集中するように促された。同じフレーズを繰り返しリハーサルし、時にはオーケストラだけ、時には合唱だけ(アカペラで)演奏し、お互いのひとつの音楽に向けた着地を探しながら、まるで学生の頃の音楽の共有に近い感覚を持った。その手法ではなく、僕の中に起こった感覚でしかいのだけれど。2月にリッカルド・ムーティ 指揮のシカゴ響とのヴェルディのレクイエムでも同じ感覚があった。もちろん聴衆と我々の間に音楽はあるのだけれど、ごく私的な空間に没入すると言うのだろうか、未だにうまく表現できずにいる。

モーツァルトのレクイエムは12月に、ミサ曲ハ短調は2月にTV放映があるそうなので、またこちらでお知らせできたらと思う。