新国立劇場ラ・ボエーム終演

日曜日の公演で、新国立劇場のラ・ボエームは全5回の公演を終えた。僕は合唱団の一員としてこの舞台に関われた事を本当に喜びを感じる。

素晴らしいキャスト、指揮者、オーケストラ、合唱団の仲間、役者達、音楽、舞台スタッフ、劇場を動かしている全ての力に感謝したいし、この”力”というものが聴衆の誰か、そして何かの力に繋がったらこんな幸いなことはない。

舞台を観た方にとって、第1景から第2景に移った時の場面転換に驚いた方も多かったのではなかろうか。転換から第2景の舞台裏の様子を劇場が珍しくあげているのでご覧下さい。

新国立劇場オペラ、ツイッターより

舞台をほとんど人力で動かす事で舞台に魂を込める、という演出家の言葉は舞台人にとって深く染みる。全くの生の音で作られるオペラの舞台、人々が生きる姿を描いたボエームの姿を見せられたのなら、僕もその中にいたという事も合わせて誇らしい。

それぞれの小さなボエームを抱えて生きる人々へ、いつまでも生きる舞台でありますように。

楽屋入口前。大変お世話になりました。

ボヘミアン生活の情景

新国立劇場公演《ラ・ボエーム》が1月24日に初日を迎える。
僕は合唱で参加していて、新国立劇場の、02‐03シーズンから再演が続く粟國淳氏の演出と、素晴らしいキャスト、合唱団の仲間と舞台を共にしている。劇場合唱団と舞台・音楽スタッフが初演から20年近く続く舞台に絶えなく力を尽くしている事を“劇場の魂”と語った粟國氏の演出はプッチーニの楽譜から、ジャコーザとイッリカの台本から、そしてアンリ・ミュルジェールの原作から(もちろん実際のパリの街から)抽出した、濃度の高い素晴らしい舞台となっている。

世界で最も愛されているオペラの一つ《ラ・ボエーム》 は、アンリ・ミュルジェールの《ボヘミアン生活の情景 Scène de la vie de bohème》を原作に持つ。1851年に出版されたこの本は日本語では今まで完訳されていなかったが、昨年末に光文社から出版された。知らせを聞いてすぐに本を手に取った。僕は読むのが早くないので年を越してしまったが、ページを開けばパリの賑わいがすぐそこにあり、ボエーム達の足音がこちらへやってくるかの様な辻村永樹の文体がとても楽しかった。

映画など、原作を持つ作品は「原作と違う」などと言われ(その逆も然り)作品を味わう楽しみを奪われてしまう事もあるが、オペラの方は輝きは失うどころか、青春の輝きと、それによって出来る濃い影を僕たちは見る。オペラの台本作家は、原作にある喜びと深い悲しみをどうやってその質量を変えずに、本で言えば瞬く間ほどの中に書き込む事ができたのだろうか、不思議でならない。

どうか多くの人にプッチーニもミュルジェールもどちらの《ラ・ボエーム》も楽しまれる事を期待して。

新国立劇場《ラ・ボエーム》の詳細はこちらから

→2020→

2020年を迎えて3週間ほど。皆様どうお過ごしのことだろうか。
私は1/6に東京オペラシンガーズの一員として中国・北京へ、ベートーベン《第九》とアンコールとして中国の歌《草原情歌(在那遥远的地方)》を演奏した。2022年に冬季五輪を開催する北京市はMeeting in Beijingとしてたくさんのイベントを開催する、その開幕として今年夏季五輪を行う日本・東京から私たちを迎えての演奏となったそうだ。2018年、同じく中国・上海での交流演奏がきっかけとなったと新聞にはあったが、縁は繋がっていくのだな、と一つ一つの演奏の大事さを感じる。

朝日新聞にも掲載されました。

https://www.asahi.com/articles/ASN167W1MN16UHBI03B.html

朝日新聞デジタル1/9付

ソリストとして演奏したバリトンの大西宇宙さんがいくつかTwitterに投稿していたので、写真を含めて見る事ができる。

https://twitter.com/takabaritone/status/1214722817478053890

また指揮者を務めた井上道義さんもホームページでも演奏会の経緯、心境などを綴っている。

https://www.michiyoshi-inoue.com/2020/01/meeting_in_beijing_concert_20.html#blog

上の文章の最後に
“  何よりもベートーベンが 特定の神の名の下でもなくとも、 定義の異なる自由の下であっても、 人類の、また個人の間の平和を!と願い歌い上げた名曲を、 交響曲第九番として残してくれたことに感謝。 この音楽は文字通り、時空を超えて立つ。 ”
とあるのは正くその通りで、私達が音楽を通して生きている、と感じる本質を《第九》を通して語ってくれている。音楽初め、歌い初めとして、背筋が伸びる思いのするものであった。

今年も音楽によってつながるたくさんの縁を大事に、豊かな日々を過ごしていきたい。

2019→

昨年のこの頃はジルベスターコンサートの楽屋にいたので観られなかった、自分も演奏したN響の”第九”を観て、音の渦にいた時には気がつかなかった光景を思い返した。録音は云々といろいろあるだろうが、そもそも音楽というのはそこにしかないので後に残るものは記憶と結びつく”何か”でしかないのかもしれない。そういうところは写真と似ているかな。(写真は表現とか観る人それぞれに介入する権利があるが)

今年も残すところあとわずかと、どこかで区切りをつけるのは人の業だろうか。時を超えて残された数々の作品と、または新しく生まれてくる音を、自分の声とどう紡いでいくのか、課題は山のようだが楽しみだ。

どうか、あなたに良き音楽と素晴らしい日々がありますよう祈っています。

ベートーヴェン《第九》始まる

NHK交響楽団との第九が12/21から始まった。合唱の一員として音楽が出来る事を幸せに感じ、この環境に感謝するばかりである。

今年の指揮者はオーストラリア出身のシモーネ・ヤングSimone Youngで、ソプラノはスウェーデン出身のマリア・ベングトソンMaria Bengtsson、アルトは日本の清水華澄、テノールはオーストリア出身のニコライ・シコフNicolai Schukoff、バスはベネズエラ出身のルカ・ピサローニLuca Pisaroniと、多国籍な顔ぶれであることをプログラムを見て知った。

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《レクイエム》放送日など

ブログの中でも書きましたが、先日演奏しましたモーツァルトの《レクイエム》(トン・コープマン指揮、NHK交響楽団演奏)の放送日が出ておりました。遅ればせながらお知らせいたします。お時間がご都合よろしければご覧ください。

本公演でのマエストロ・コープマン。クラシック音楽館ホームページより

12月15日(日)21:00〜23:00 NHK Eテレ クラシック音楽館

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「静寂の中に」を終えて

シャンソン歌手の渡辺歌子さんが出演、制作されたコンサート「静寂の中に」に出演した(11/27)。ソロではルイジ・テンコの”Vedrai,vedrai”ウェストサイド物語から”マリア”、同じく出演歌手の竹下ユキさん、三戸亜耶さん、松村大治さん、ピエールさんと”谷間に三つの鐘がなる” “You raise me up” “Con te partiró”と、歌子さんの”鶴”の後ろでコーラスを歌った。

歌子さんとの出会いは、僕が2012〜15年の間ひょんなことからお世話になっていたシャンソニエ蛙たちでお会いしてからで、お店を辞めてからもご連絡をくださり、歌う事やワークショップなどの機会をくださった。たくさんの歌手、お客様とのお付き合いがあったが、僕にお店という背景がなくなってからもこうしてお付き合いがあるのはとてもうれしい。そして4人の仲間とまた歌う機会を与えてくださり大変な感謝である。

左からピエール、ユキさん、大治君、歌子さん、僕、三戸さん。後ろにギターの並木さん

音楽は静寂の中から、また静寂へと帰る美しい演出。

武満徹が戦争中に上官の目(耳か?)を盗んで聴いていたのはLucienne Boyerリュシエンヌ・ボワイエのParlez-moi d’amour(邦題:聴かせてよ愛の言葉を)だったというが、苦しい時代においても人々の耳の奥にあったフランスの歌の数々は、翻訳や訳詞の文化と結びつき日本の軽音楽を刺激しながら独自の”シャンソン”というジャンルを作っていった。

僕がその世界の薫りを記憶の隅に留めながら、今また新しいシャンソンを歌ったらする事があるだろうか(今回歌ったのは歌子さんからのリクエストと僕の歌える曲だったから出演できたのだけど。。。)クラシックでは滅多に味わえない、ステージの煙に光が屈折する様は自分が鏡の向こう側の違う世界へ向かう感じがした。

さぁ、12月。

新しい月の始まりは良い年を迎える準備をしたい。

2つのモーツァルト

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮によるモーツァルトが作曲したミサ曲ハ短調(K.427)をNHK交響楽団の演奏と共に終えた。(11月22,23日)マエストロが92歳、というのはこの演奏会には何の飾りにもならないが、自身の演奏活動と共にN響との40年近くにもなる長く、強い信頼関係は音楽の姿としてあった。

僕は2016年の同楽団によるベートーベンの”第九”で合唱として初めマエストロ・ブロムシュテットと演奏した。合唱の音楽稽古から、音楽に身を捧げる姿を目の前にし、作曲家、楽曲を間において僕達と絶えない会話をする様は今回も何も変わることはなかった。

10月10日に演奏した、トン・コープマン指揮による、同じくN響とのモーツァルトのレクイエムの経験がどこか繋がりを持つ。2つとも作曲家が完成し得なかった、神に捧げる曲としての音楽。

普段、いわゆる音楽におけるロマン派以降の楽曲を歌うことが多い者にとってはやや特殊なアーティキレーション(これは何と訳せば良いのか)をマエストロ・コープマンとの音楽で表現した。長い旋律線にかかる、強調された強弱、弦楽器が短く弓を当てるような息の使い方、ヴィブラートを抑えてハーモニーをより強く意識する事で得られる内省。個々人の技術によって、それらは音にする事が出来るが、指揮者からは表現にあたり「あなた方の心に触れてください」と言われた。その言葉は、頬に柔らかく風が触れる様に感じた。演奏する事は僕の生活の主たる事であるけれど、もっと根源たる、当前の様で、気づくとなんとも言えない幸せな思いがした。

今回のマエストロ・ブロムシュテット からは、歌手もオーケストラもテキストに集中するように促された。同じフレーズを繰り返しリハーサルし、時にはオーケストラだけ、時には合唱だけ(アカペラで)演奏し、お互いのひとつの音楽に向けた着地を探しながら、まるで学生の頃の音楽の共有に近い感覚を持った。その手法ではなく、僕の中に起こった感覚でしかいのだけれど。2月にリッカルド・ムーティ 指揮のシカゴ響とのヴェルディのレクイエムでも同じ感覚があった。もちろん聴衆と我々の間に音楽はあるのだけれど、ごく私的な空間に没入すると言うのだろうか、未だにうまく表現できずにいる。

モーツァルトのレクイエムは12月に、ミサ曲ハ短調は2月にTV放映があるそうなので、またこちらでお知らせできたらと思う。

9月の報告

欧米の音楽界(に限らないかな?)の幕開けは9月ないし、10月だという。2019-2020シーズンも良い音楽と出会えるよう、声と心を磨いておきたい。
ブログを更新しない間(なんと長い間!)2つのソロ、1つの合唱のコンサートに出演しました。

音楽の花束コンサート 9月8日(日)14時開演 サクラビア成城、3Fサクラビアホール
サクラビア成城にお住まいの方々向けのコンサートで2曲歌いました。
・ディ・クルティス“帰れソレントへ”
・レハール作曲《微笑みの国》より“我が心のすべて”

サラダ音楽祭20199月16日(月)14時開演 東京芸術劇場コンサートホール
ベルリオーズ:劇的交響曲《ロメオとジュリエット》op.17(日本語字幕付き)
新国立合唱団の一員として出演しました。

CMDJ 2019年オペラコンサート~愛のときめきと悶え~9月20日(金)18時半開演
すみだトリフォニーホール 小ホール
・ビゼー作曲《カルメン》より“話しておくれ、僕の母の事を”(ミカエラ:徳山奈奈)
・同、《お前が投げたこの花は》
・グノー作曲《ファウスト》より“この清らかな住まい”

お知らせができずに失礼しました。
コンサートで歌った曲や様子は、何かに絡めて書いていけたらと思っています。

OMF《オネーギン》終演

OMF(セイジ・オザワ・松本フェスティバル)のオペラ公演、《エフゲニー・オネーギン》は8/24(土)に全3回を終えた。レヴァントのオネーギンは2公演目に実現したが、少し無理をしたのか、3公演目は再び大西君の出番となった。

全公演が終わった後、レヴァントに、また必ず君と仕事ができると思ってます、というつもりで言った僕のイタリア語だったが、通じたかどうかは別にして、彼の歌はまた聴きたいと思ったし、音楽に、舞台にまっすぐ生きている姿は素晴らしい、と思った。

マエストロとサイトウキネンオーケストラ(SKO)は、前日の夜のシュミット、マーラーの長大なプログラムを抱え、かつ超過密日程でのオペラ上演であったが、指揮者とオーケストラという関係の限られた時間を”音楽をする事”で精一杯満たしているようだった。音楽家の純粋な起点を皆が共有しているプロフェッショナルとは、美しいというしか僕には言葉がない。

28日という滞在で。松本という街で、東京オペラシンガーズの仲間と共に、このオペラの上演に携われた事を幸せに感じている。オペラそのものがドラマであるが、舞台に携わる僕たちの日常が上演に向かうドラマにもなっていることが「舞台」の最大の魅力かとも思う。劇場やOMFスタッフは元より、市民ボランティアの方々に感謝である。

まつもと市民芸術館で《オネーギン》が上演され、聴衆も演奏者もその世界を存分に味わったことを深く深く心に留めて、これからまたやって来る仕事に染み渡っていったらと思う。