作曲者の声

ジョン・アダムズの作品を作曲家自身の指揮で歌う日が自分にやってくるなんて思いもしなかった。

指揮:ジョン・アダムズ

演奏:東京都交響楽団

新国立劇場合唱団(合唱指揮*/副指揮**:冨平恭平)

ジョン・アダムズナイーヴ・アンド・センティメンタル・ミュージック(1999)

チャールズ・アイヴス:答えのない時間(1930-35)**

ジョン・アダムズ:ハルモニウム(1980)*

千人の交響曲(2月)、春の交響曲(3月)、四季(4月)と、演奏団体問わずにいうと今年は間を置かずにご一緒している東京都交響楽団の定期演奏会でした。若い頃からの音楽仲間と会えるのもこういう仕事の楽しみでもあります。ありがたい。

ジョン・アダムズ氏の名前は、僕にとっては”積極的に上演される舞台作品のアメリカ人作曲家”としてある名前だが、アメリカを代表するのはもちろん、ジャンルを超えた現代を代表する作曲家の1人であることは間違いないでしょう。いつか直にその音楽、舞台を観ることができたらなぁと夢の一つとしてあったけど、冒頭にも書きましたが、こんな日が来るとはね。長くやってみるものですね。

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東京春音楽祭2026

今年も幸運な事に東京春音楽祭に参加しておりました。

前身の東京のオペラの森(2005-2008)から東京文化会館を中心に2か月に渡って開催される春の音楽のお祭り。東京春音楽祭として装い新たに、より音楽に深くフォーカスした数々のプログラムを楽しむ事ができる音楽祭です。(ここで過去のプログラムが見られます) 僕は2006年からとびとびでありますが演奏側として参加して、また聴く側としても毎年の多彩なプログラムを楽しんでいます。

今年は大きな分岐点として、東京文化会館の大改修による3年の閉館があります。そして2014年からワーグナー《リング》をから始まり、このシリーズの大きな存在であるマレク・ヤノフスキ氏が”春祭”最後の指揮台への登壇。

昔の話をすると、ワーグナーの《リング》が始まると合唱団の出番は4作目の《第三夜》までないので、ここで集まるのはいつになるかね、なんて話をしていましたが、序夜を聴いた代表から、すごい公演になるから次会う時は気合い入れましょう、と檄があったのを思い出します。

いざ《第三夜》が訪れると、あの壮絶な金管群によるファンファーレ?から巻き起こるカオスの中、決して大きく振りかぶることのないスタイルから音を構築していく姿、どんな大音響の中からでも聴こえてくるマエストロから発せられる低く響く声に衝撃を受けました。その時の事は鮮明に覚えていて、合唱団の声が足りなかった時に、指揮する指を上向きに寄せながら「More!」と強力に声を発するかと思いきや、満足すると少しのほほ笑み。あまりに大変なんで、こちらは苦笑いしか出ませんでした。。。

東京春音楽祭では11演目という(コロナ禍を挟んでいるのに)多くの、しかもほぼ全てがとても大きなプログラムという音楽祭の大きな幹としてあったマエストロ・ヤノフスキ。今年は群を抜いて大編成である《グレの歌》を指揮し、「私はもう年をとって、、、」と答えたインタビューはただ数字の話で、気のせいなのでは?とさえ思います。ワーグナー・シリーズだったりコンサートプログラムにしても2回本番がありますが、この《グレ》は1回のみ。演奏時間やとてつもない大編成ゆえに難しいこともたくさんあったかと思いますが、この演奏会が実現し、そしてまた素晴らしいものとなった事は春祭においても、日本の演奏史にとっても残っていくものだったのではないでしょうか。これはいつの時でも感じますが、その場所に自分が演奏していたというのはとても幸運であったと思う日々でした。ここに集まったすべての演奏者と、携わった多くの方々、シェーンベルクの作品に感謝です。

東京文化会館が、再び良き音楽が集まる場所としてその扉が早くに開かれ、音の記憶を収めていくことを願っています。

2026-1

2026年の最初の仕事は、読売日本交響楽団との演奏会でした。

プフィッツナー《ドイツ精神について》/ Pfitzner《von deutscher Seele》

大好きな指揮者、セバステイアン・ヴァイグレと演奏ができるという事に胸が高鳴りました。日本のオーケストラの首席指揮者でいてくれてありがとうございます。僕はオペラでご一緒した事がありましたが、演奏会のプログラムでは初めてで、しかも日本で初めて演奏されるこの曲、というのがまた記憶に深く残るものでした。

日本初演、というのはそれまで機会のなかったという事で、今までに見れば録音は何種類か出ていて、どれも良いものでした。作曲者の生きた時代と政治的姿勢故なのか、恐ろしく難しいソリストのアンサンブル故なのか、これまで日本で演奏されなかった事が不思議なくらい、素晴らしい曲でした。その響きは体勢に利用されてしまう、とか想起させるようなものがあるのでしょうか。読響のプログラムに寄せた長木誠司氏の言葉を借りれば、「プフィッツナーにとっての「ドイツ精神」とは本来政治的なものではなく、ときに瞑想的で、ときに高揚し、厳粛で、甘美なほどに力強く、英雄的なものに過ぎなかったが、時代はそれを危ぶむことも、称揚することもできたのである。」

「評価が定まらない」というものに作曲者自身が態度を表明できるほど時間が許されたわけでないようだし、純真なロマン的讃美が体勢に好まれた態度と離れていたとしても、どうしても受け入れられない、音楽的でない評価がそこには存在するのだろう。

日本においてもきっとそのように音楽的価値から遠ざけられた作品が多くあるのかもしれない。それらを発掘し、演奏に純化していくのは演奏家の仕事だし、間違ったアピールをしてはいけないのもまた今を生きる演奏家の仕事であるのだと思う。クラシック音楽は“利用”されるほど多くの人に浸透した文化なのか、そこに疑念は抱かずとも、いち演奏家としては毅然としていなくてはいけない。以前、◯響にもっと政府寄りの仕事をするべきと言った政治家がいたけれど、素晴らしい集団の今を見ればそれを、寄せつけない音楽的な高みというのは音楽家のあるべき姿なのだと思っています。

さて、僕の2026年はどのような音楽が待っているのでしょうか。とても楽しみです。

学生の時以来の演奏の機会となる曲が4月までで2曲もあります。(僕の学生時代はなんとゆたかだったのだろう!)新しいものを見つけられるように、新しい勉強をしていきたいし、1人の人間として精進して舞台に臨みたいです。

《第九》について

12月の後半は、読売日本交響楽団のベートーヴェン交響曲第9番の演奏会シリーズに新国立劇場合唱団の一員として参加しました。

同じ曲を同じオーケストラ、指揮者、ソリストで7公演というのは僕は初めて演奏しました。今年は久しぶりに4楽章の途中から入場。ある指揮者が、初演された頃にはこういう”演出”もやっていたという話をしていましたが、本当なのかな?

大阪のフェスティバルホールでの公演もありました

僕の古い話になりますが、プロのオーケストラの演奏会(学外で)に初めて参加したのは大学3年生で、その時のオーケストラが読響でした。大学の室内合唱というクラスが主体で、ハイドンのオラトリオ《四季》。指揮者のジェフリー・テイトの姿も、ソリスト達の素晴らしい演奏も鮮烈でした。オーケストラの重厚な響きに、心も身体も大きく揺さぶられた記憶は今でも肌に残っています。

10年くらい前までは学生の合唱と在京オーケストラとの共演はどこも積極的にあったと思いますが、《第九》の演奏会や定期公演などで学生がプロと演奏する機会はずいぶん減ってしまったのではないでしょうか。学生の数が少なくなったのは大きな要因だと思いますが、大学連合みたいな形で、多くの若い人が良い演奏を経験するということがあればいいだろうなと思います。

そう、今回は第九の話でした。

今回の指揮者はマキシム・パスカル。僕は《金閣寺》以来6年ぶりです。とても印象深い人だったので、今回またご一緒できて良かった。20世紀の音楽をあんなにも軽々と演奏してみせる人が、いわゆるオーケストラの古典作品をどのように指揮するのか興味があったし、読響とはこの曲を歌ったことがなかったので、とても良い機会でした。

11月のミサ・ソレムニスを演奏したことは前の記事で書きました。ベートーヴェンの最後の作品としても知られている《第九》は、《ミサ・ソレムニス》が初めて演奏された次の年、1824年に一緒に演奏されました。作曲期間は別として、同時期に初演された2つの作品を、あまり時間を置かずに演奏した事はとても有意義でした。《ミサ・ソレムニス》では山田和樹さんの意図でオーケストラ練習から合唱が参加して音楽を作ることができたし、《第九》では初日のみ第1楽章から舞台にいられたので、マエストロ・パスカルとオーケストラが作りたかったものを多く感じられました。

公演をいくつか終えた後に、SNSで見つけた藤沢市民文化会館での《第九》についての園田隆一郎さんのインタヴューをとても興味深く読みました。

演奏というのは、得てして”そうであろうとする”ことに向かっていくことがあると感じることがあります。演奏するある作品について言えば、そうであろうとする。一見、創造的な演奏という行為も、繰り返すことでたわみが出るというか、都合の良いところに収まろうとする。それはとても自然なことかもしれなくて、いわゆる演奏者の”味”と済まされる事もあるのではないか。

うーん、言葉にするのがなかなかうまくいきません。

もしまたこの曲を演奏することができるなら、作曲者の音の言葉を改めて読み解いて、演奏することに向かっていけたらと思います。

ベートーヴェン《第九》始まる

NHK交響楽団との第九が12/21から始まった。合唱の一員として音楽が出来る事を幸せに感じ、この環境に感謝するばかりである。

今年の指揮者はオーストラリア出身のシモーネ・ヤングSimone Youngで、ソプラノはスウェーデン出身のマリア・ベングトソンMaria Bengtsson、アルトは日本の清水華澄、テノールはオーストリア出身のニコライ・シコフNicolai Schukoff、バスはベネズエラ出身のルカ・ピサローニLuca Pisaroniと、多国籍な顔ぶれであることをプログラムを見て知った。

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