ジョン・アダムズの作品を作曲家自身の指揮で歌う日が自分にやってくるなんて思いもしなかった。
指揮:ジョン・アダムズ
演奏:東京都交響楽団
新国立劇場合唱団(合唱指揮*/副指揮**:冨平恭平)
ジョン・アダムズナイーヴ・アンド・センティメンタル・ミュージック(1999)
チャールズ・アイヴス:答えのない時間(1930-35)**
ジョン・アダムズ:ハルモニウム(1980)*
千人の交響曲(2月)、春の交響曲(3月)、四季(4月)と、演奏団体問わずにいうと今年は間を置かずにご一緒している東京都交響楽団の定期演奏会でした。若い頃からの音楽仲間と会えるのもこういう仕事の楽しみでもあります。ありがたい。
ジョン・アダムズ氏の名前は、僕にとっては”積極的に上演される舞台作品のアメリカ人作曲家”としてある名前だが、アメリカを代表するのはもちろん、ジャンルを超えた現代を代表する作曲家の1人であることは間違いないでしょう。いつか直にその音楽、舞台を観ることができたらなぁと夢の一つとしてあったけど、冒頭にも書きましたが、こんな日が来るとはね。長くやってみるものですね。
僕たちが担当した《ハルモニウム》は、これまで取り組んできた中で超難曲と皆口々に言っておりました。(ナターシャだって聴いてる方には大変難しそうだったよ、みんな素晴らしいよ、と返していました)僕にとってはどんな曲であってもとても難しいので、、、練習中は頭から湯気が出ているんじゃないかと自分で心配してました。本番は静寂の中にオーケストラと溶け合うように刻まれる詩句と指揮者の情熱に感動しながら歌っていました。
「楽譜は作曲者の声」と言われることがありますが、一般的に手に取れる楽譜というのはもちろん印刷、出版されてきたものがほとんどです。入手可能な、限りなくその声に近いものはファクシミリ(手稿楽譜の写真印刷物)です。小節線の縦に走る線の強さ、音符の躍動感、これではないという情熱ある否定、という様々な声を目にすることができます。
僕たちが手に取ったハルモニウムの合唱譜は、手書き譜といえど出版社の管理する印刷物であるので、読み解くものとして稽古で自分なりのガイドを書き込みながら稽古していました。(合唱指揮者、冨平さんの解説もとても良いのでここに残します。)
ミニマルな音楽の印象が、連続や反復、規則性から生まれる高揚、という一様のイメージしかなかった僕にとっては、指揮者によって与えられた音楽は、つまらない固定概念を消し去る豊かで情熱的なものでありました。単純なイメージの反復は、意思の分裂で、またはその集合で、指揮棒が降ろされるその一拍というのがとても有機的だった事が印象深いです。お話になる言葉は柔らかいけれど絶対的に強いものがあり、少し嗄れた声も心地よく届き、若々しい立ち姿は優しくも未だ野心的に映ります。
「私のオールド・ピースを演奏してくれてありがとう」
最初の練習の前にあったのはもっと長い言葉だった気がしますが、ちょっと前のことなのに朧げですいません。こちらこそ光栄です、ありがとうございます。

演奏会の当日にいただいた都響のプログラムの中に、彼自身が語る《ハルモニウム》があります。作品の成り立ちや、過去の演奏、譜面から読み取れる楽曲解説がプログラムに掲載されるのが常ですが、作品の内側から表出されるものが自身の言葉として載っています。作曲者の言葉が印刷物として残っていくのは、様々な書物で僕たちも目にするところですが、まだ温かいものが残っている内にこれを読めるというのは僕にとってはとても贅沢です。英語を直接的に捉えられない人としては、飯田有紗さんの訳が彼の声として聞こえてきてとても嬉しいです。
