先の災害において、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々に心よりお見舞いを申し上げます。一日も早い復旧、復興をせつに願っております。映画製作で知り合った方からお知らせを受け、下記のサイトを通して僕も募金に参加しました。
Dination Theater 平成30年西日本豪雨災害に対する支援金募集サイト内から視聴権を購入し、全額(決済手数料を除く)が被災支援団体に寄付されます。映像制作者は自身に著作権がある作品を無償で提供し、視聴者は視聴権の金額の大小関係なく、全ての作品を期限付きではありますが観ることが出来ます。(視聴権の購入についてはサイト内をよくお読みになってください)ブログでいつか紹介しようと思ってしばらく経ってしまい、視聴権の購入が8月いっぱいということで駆け込みではありますがここにお知らせいたします。
しばらくぶりに、8月
久し振りに自分のサイトを見てみたら。。。。
ブログに暗号めいた、いや全くの意味不明な文字の羅列で、自分にも覚えがないからびっくりしてしまった(ネタとして取っておけばよかったかな?)
何事もなく久しぶりの更新をすれば良かったのだけど、まずは一呼吸。
きちんと管理と、更新しないと。何も書かなかった7月はとても暑かった。
丁度1か月前に起きた西日本を中心とした豪雨災害の被害は大変なもので、亡くなった方、被害にあわれた方もたくさんおられる中、僕は言葉が見つからないのだけれど、心からのお悔やみと、また復旧、復興への思いを届けたい。2つの演奏会に出演して、それぞれに音楽への思いを深くした。
また思い出したように書き起こそうと思う。
まだまだ暑い日が続くので、皆様、どうか体調には気を付けてお過ごしください。
フランチェスコ・メーリ リサイタル
イタリアのテノール、フランチェスコ・メーリFrancesco Meliのリサイタルを聴きに行ってきた。(6月27日、紀尾井ホール)
日本では2009,2011,2015年にリサイタルをしており、今回が4度目。僕は2011年2月ぶりに彼の演奏を聴くことが出来た。
今回は大きなプログラムとして、ブリテンの《ミケランジェロの7つのソネット》を持ってきて、同じくイタリアのピアニスト、ルーカ・ゴルラLuca Gorlaと、イタリアのピアノメーカー、ファツィオリも加わり、よりイタリア色の強い舞台上だった。
プログラムは以下の通り。
ブリテン:〈ミケランジェロの7つのソネット〉より
“あたかもペンとインクで記したように”op.22-1
“お前の美しい眼によってやさしい光を見る”op.22-3
“美しい魂よ”op.22-7
B.Britten : 〈7 Sonnets of Michelangelo〉 ~
“Si come nella penna e nell’inchiostro”
“Veggio co’bei vostri occhi un dolce lume”
“Spirto ben nato”
レスピーギ:霧 / 雨 / 雪
O.Respighi : Nebbie / Pioggia / Nevicata
プッチーニ:すてきな夢 / 進め、ウラニア!
G.Puccini : Sogno d’or / Avanti, Urania!
トスティ:子守唄 / 理想 / 最後の歌
F.P.Tosti : Ninna nanna / Ideale / L’ultima canzone
ヴェルディ:《イル・トロヴァトーレ》より”ああ、いとしいわが恋人よ”
G.Verdi : «Il trovatore» ~ “Ah si, ben mio”
チレーア:《アドリアーナ・ルクヴルール》より”君の優しく微笑む姿に”
F.Cilèa : «Adriana Lecouvreur» ~ “La dolcissima effigie”
ヴェルディ:《シモン・ボッカネグラ》より”何たることだ!アメーリアがここに!”
G.Verdi : «Simon Boccanegra» ~ “o inferno! Amelia qui!”
東京プロムジカHP参照
イタリアを拠点に活動する友人からピアニストが素晴らしい、と聞いていたのでそれも大きな楽しみの一つだった。
その演奏は、とても抽象的な表現だけれど、ピアノがまるでイタリア語を喋ってる様で、明るく、多彩で、瑞々しい音楽を奏でていて、特にレスピーギのお天気三部作(僕はこう呼んでいる。。。)は、胸が熱くなり、音をしっかりと抱きしめたくなった。
学生の頃はオペラは好きだったけれど、もっぱらイタリアの歌曲を良く歌っていて、今本棚にある楽譜を眺めても、誰もが知っている曲でもないのによく勉強していたなぁと感心する。来日するイタリア人歌手にもっとイタリアの歌曲、とりわけ近代以降のものをたくさん歌って欲しいと思っているのはきっと僕だけではないだろうな、と想像する。
もちろん主役のメーリも素晴らしく、とても真摯な演奏を聴かせてくれた。声の響きの高さには本当に驚くばかりで、先日聴いたサイミール・ピルグともまた違うイタリア人特有の輝かしさが、やはりあぁこれを求めていたんだ、と再確認した。最近の僕の仕事は、ドイツ人によるドイツ語作品の素晴らしさに触れることが多かったために、滴がしたたり落ちるほどの“純”イタリアの声は久し振りだった。
終演後、友人のツテで楽屋に案内してもらい、ちゃっかり写真を撮ってもらった。
今回歌ったブリテンや、前回(2011年)不満だったリストの《ペトラルカの三つのソネット》も収録されているCDも購入し、これは後からゆっくり聴きたいと思う。
イタリア歌曲のコンサートの前にとても良い「聴く」勉強ができ、またさらに歌いこまなければ!と気合が入ります。
ノヴァンタノーヴェ演奏会のチケットもまだまだ受け付けておりますので、ぜひご用命くださいませ。
夏至
今日の空は僕が住むところでは曇りであったので、赤い日没を眺めるというのはかなわなかったけれど、時間を錯覚するほど何だかいつまででも明るい気がして街を歩いていた。
夕方の空は、淡い水彩画を描いた後の筆洗いの水の様に思えた。ちょっと湿り気もあって、雲が太陽からいろんな色を盗んで自分たちだけで楽しんでいるみたいだった。
僕は小学生の頃、図工の時間の後の黄色い筆洗いのバケツが何だか好きで、描き終わった後の満足感と摩訶不思議な色合いと澱みに見入っていて、それを同じ流し場でクラスメイトのものと混ざり合って流れていくのはまたこれも楽しかったように思う。
昔、イタリアのシエナで夏を過ごした時は(それは8月だったから今時分ではないけれど)、随分遅くまで明るくて20時を過ぎてようやく空が紅く染まり、薄暗い光の室内から聖アゴスティーノ教会のシルエットをもったいぶって空に残しているのを見ていた。それから闇が下りてくるのは早くて、あんなに昼間は空が青いのに夜はとても深いのは不思議なもんだと覚えている。
いつでも空の記憶はあるけれど、思い立って書き出してみるのも面白い。
「夏至」というきれいな映画があったと思う。鮮やかで潤いのある色彩を覚えている。また観たい。
雨の日
雨の日は好きだ。
傘に打つ雨の音が、隣りを歩く人のそれと重なって分からないくらいの強さが丁度良い。
雨が降る前に立ち込めた湿度が洗い流されて、少し汗ばんだ肌に雨粒が溶け合うくらいが良い。
雨の日は、気づかずに通り過ぎたくちなしのかおりを届けて、見つけた小道にきれいな青色の紫陽花と深い緑の葉があるのを教えてくれる。
雨の夜は耳元に静かな絵画を描くようで、ベランダの手すりから落ちる雨音、隣の庭木に打つ雨音、ずうっと高いところから流れてくる雨のままの音。
機械式の時計のリズムも消してしまって、時折車が水溜りを切る音をさせて、ずっとずっと遠くまで雨を見るように聴いて、雨音を聴くようにまぶたの中に見ながら、溶け合っていくくらいが丁度良い雨の日。