藤田嗣治展

藤田嗣治(1886〜1968)の久しぶりとなる大きな回顧展が東京都美術館で開催されていた。東京はすでに終了したが、作品は10月19日から12月16日まで京都国立近代美術館に移り、観ることができる。

今年は没後50年ということで、かなりまとまった数の作品が展示されていて、中には日本で初めて観られるものもあった。僕が見に行った日は夜間開館だったが、20時の閉館ギリギリまでたくさんの人が鑑賞していた。どこかのニュースで読んだが期間中30万人が美術館を訪れたという。”Foujita”の認知度、人気が共に高いことを改めて感じた。

2005年にあった東京国立近代美術館での展示もとても素晴らしかったが、あの時は美術館の持つ藤田が描いた”作戦記録画”と呼ばれる第二次世界対戦時の日本軍の様子を描いたものにまつわる物語と、解放された”君代コレクション”が主軸となっていたように覚えている。第一次大戦、第二次大戦を画家として生き抜き、時代に翻弄され孤独を抱えた、そして信念を持ち続けた芸術家を猛々しく魅せた。

今回は比較的穏やかでかなり客観的に、静かな語り口で藤田の作風の変化、時代性というか、彼の先進性を一枚一枚ゆっくりと、作品とともに歩くというふうに感じられた。続きを読む →

Carmina Burana終演

NHK交響楽団とのカルミナ・ブラーナを終えました。

9/17の東京都交響楽団に続いての同演目ではありますが、オーケストラも違うし、もちろん指揮者もソリストも、合唱団のメンバーも違い、全く新しく演奏を作り上げるのがとても興味深く、何よりも楽しい時間でした。

NHK音楽祭のプログラムの1つでもあり、ラジオでの中継は多くの方にお楽しみいただいたかと思います。いつかTVでも放送があるかもしれませんので分かりましたらブログにも書きたいと思います。続きを読む →

カルミナ・ブラーナ×2

9,10月に本番を迎える、2つの《カルミナ・ブラーナCarmina Burana》(カール・オルフCarl Orf作曲1937年初演)に合唱として参加している。1つは今年から始まった東京都のイベント、Salad音楽祭。オープニングのプレミエ・ガラとして演奏される。今年は一夜限りだが、今後数年をかけて展開していくという出来たてホヤホヤの音楽祭。もう1つはNHK音楽祭2018のプログラムとして。1年に同じ演目を演奏する、という事はあるにはあるけれど、1ヶ月もしないうちに、とても久しぶりに大好きな《カルミナ》を2回も演奏する機会が来るとは。(インディ・ジョーンズ魔宮の伝説で冒頭の音楽が使われていたので耳にしたことある人はきっと多いと思う。)《カルミナ・ブラーナ》という作品は、19世紀初頭ドイツ・ミュンヘンにあるボレイン修道院で見つかった11〜13世紀に作られたとされる写本がもとになっており、当時の修道僧、学生による中世ラテン語、古フランス語、中高ドイツ語といった様々な種類の詩が、「春」「酒場」「愛」について語られる。続きを読む →

Realismoについて1

千穐楽を迎えた二期会公演プッチーニ《三部作Il Trittico》では、演目ごとに息を飲む音や、涙を拭う音、また心からの楽しみが劇場に漏れ聴こえることが度々あった。舞台上に散りばめられた様々なモチーフを観衆が各々の身体に取り入れた事による現実的な反射だったのだと思う。

もう10年以上前に、某所で《三部作》の上演が企画され、それに伴い演出家アントネットロ・マダウ・ディアツAntonello Madau-Diaz氏によるワークショップがあった。
受講生に対して、「麻袋に入った重い荷物はどうやって運びますか?この椅子がその荷物だと思って持ってください。」との問いに、それぞれが思いつくままに椅子を持った。抱える様に持つ人、肩に抱える人、演出家から「10キロくらいまでならこれで持てますね。」「明日この荷物を持たなくていいのならこれでもいいね。」と不正解とは言わないけれど、僕達に”重い荷物”について考えさせた。伝統的な、重労働を課せられる労働者が持つ”重い荷物”の運び方は、、、続きを読む →

二期会公演:プッチーニ三部作観劇

東京二期会公演、プッチーニ作曲《三部作Il Tritticoを観劇した(9/6公演日)幕開けから集中力の高い、オーケストラの影のある音色でこれは何かが起こるというのを予感させたのはプッチーニの手腕なのか、それとも指揮者ベルトラン・ド・ビリーの手腕なのか。
既に今回の演出をヨーロッパで成功させている演出家ダニエレ・ミキエレットが開幕前のプレトークで語っていた、プッチーニの映画音楽に通じる先駆的手法に大きく触発された感性は全編に渡って統一されていて、フェリーニやパゾリーニのモノクローム、フランスの伝統的なミュージカル映画のような鮮やかな色彩、ラース・フォン・トリアーの退廃を舞台から見受けられた。
素晴らしい演出だと思えるのは、それらがコラージュではなく、舞台に内在する大きなフィルムロールが回る中に僕たち観客が紛れ込むようでもあり、音楽が、声が、生きている音として体液に直接響く。プッチーニが作曲し、丁度100年前に初演された《外套Il Tabarro》《修道女アンジェリカSuor Angelica》《ジャンニ・スキッキGianni Schicchi》が新国立劇場の舞台で《三部作》として上演できたのは、何よりたくさんの素晴らしい歌手がそれぞれの物語の帰結に吸い込まれるように、大きくもなく小さくもなく、収まるべき所のプッチーニの音楽を歌ったからだ。続きを読む →