10

タイトルは10ですが、今は12月です。

ブログを書かない間もいろいろなことがありましたので、少しずつ書いておこうと思います。

10月は東京混声合唱団の一員として、モナコ、フランス、ルクセンブルクの3カ国をツアーで訪れました。ヨーロッパに行くのは20年ぶりでしたし、ほとんどの都市が初めてでした。素晴らしい経験を、素晴らしい人達と過ごせた事は僕の音楽家としてだけでなく、人生の重要な経験となると思います。

東京混声合唱団のホームページで、ツアーの詳細がありますので、ご覧いただければ幸いです。

1月にはその演奏の一部をお聴きいただけると思います。https://www.nhk.jp/p/premium/ts/MRQZZMYKMW/blog/bl/p1EGmp948z/bp/p2wbOZOzx9/

合わせてお楽しみ下さい。

東京混声合唱団は1956年の創団から現在に至るまで、日本の音楽、とりわけ合唱シーンにおいては常にトップランナーでしょう。戦後日本に合唱というものが根付き、多くの人の合唱経験と素晴らしい作品が生まれるその相互作用の中心には、この合唱団が存在していると思います。東京混声合唱団の創団メンバーである田中信昭先生が9月に亡くなられました。心より哀悼の意を表します。

団員の一人一人に刻まれる信昭先生の音楽の記憶と共に、また新しい音楽が作られていく、その始めにご一緒できた事は、何よりも僕の心に残っている事です。

4→5

東京春音楽祭で感じたことを書こうと思っているうちに、やはり1日1日が過ぎていき、季節は夏となりました。5月5日は立夏で、立派に夏なのです。

春祭ではたくさんのプログラムが演奏され、それを楽しむ人々が上野に集まりました。現地点から振り返ると、covid-19の影響があった4年というのは長かったですね。失った時を振り返る訳ではありませんが、もっと音楽を愛したかった人に僕の1日、あなたの何時間かをシェアすることはできないでしょうか。そんな事を思う季節でもあります。

僕は春祭でBruckner《Missa no.3》とVerdi《Aida》に参加しました。
劇場に訪れる方も多く、同時配信もありましたので、多くの方に楽しんでいただけたかと思います。1ヶ月、上野のどこかしらで毎日のように世界から演奏家、聴衆が集まる中で、本当にたくさんの方が演奏会を支えてくださったことに演奏者の1人として感謝します。この音楽祭を取り仕切る鈴木幸一氏の言葉を借りれば、ここで行われた音楽は「音の記憶」をたくさんの人に残していると思います。

HPや公式プログラムには興味深いインタビューが掲載されているので、折を見て読み返してみたいと思う。

4月

3月は終わり。4月は始め。

別れには多くの言葉はいらないだろう。過ぎた事だからさ。

特にね、君と僕の別れには。そう、最後まで一緒だったからね。

一言でも交わすことがあったなら、それは幸せだっただろうか。

終わりと始まりを繋げているこの季節には時折雨がふる。

雨宿りでもしていくかい?





僕の4月の歌の仕事、幸いにも東京・春・音楽祭に参加しています。

今年もスペシャルなプログラムが並ぶ音楽祭だが、その中の2つの演目に合唱として出演します。

ストリーミングでもお楽しみいただけるこの音楽祭、上野にいらっしゃれない方はこちらをぜひご利用ください。

ブルックナー《ミサ曲第3番》
4月13日(日)14時開演
ローター・ケーニヒ指揮
東京都交響楽団
※詳細はリンクへ

ヴェルディ《アイーダ》
4月17日(木)14時開演
4月20日(日)14時開演
リッカルド・ムーティ指揮
東京春祭オーケストラ

※詳細はリンクへ

12月

今年の12月3日はアドベント、イエス・キリストの降誕を待ち望む期間、待降節の始まりだそうです。僕はクリスチャンではないので述べることはとてもくだらないことですが、お菓子の入ったアドベントカレンダーの空白を見ることは静かで幸せの景色です。

東京で生活をしていると、11月に酉の市が何日かあって、そこで熊手を買ったりすれば、良いお年を、というのがこの場での挨拶となる。朱の色、差し色の緑もやはり僕には幸せの光景です。

挨拶を交わす、季節を祝う、慎ましやに(賑やかにでもいいけどさ)幸せを分かち合う。
しかし世界は、それが当たり前のことではないことを見せつける。せめてひと時だけでも、そのせめてが1日でも長く続かないのだろうか。

僕の12月は、マーラーの一千人の交響曲で終わります。とてつもなく大きなスケールの曲を前に驚くばかりです。

https://www.nhkso.or.jp/concert/202312A.html?pdate=20231216

(リンクがうまく貼れなかったので↑から)

今年は《第九》を歌わないので、年の瀬を早く感じるでしょうか。

今を大事に過ごしましょう。

セイジ・オザワ・松本フェスティバル

久しぶりのブログです。何から書いたいいのかわからないくらい久しぶりですが、直近の活動として8/25,27にセイジ・オザワ・松本フェスティバル(OMF)のオーケストラコンサートAプログラムに参加しました。

公演日まではまだ暑くて、もうどこでも暑さの影響は避けらないのでしょうか。最後の公演が終わった夜は、晩夏を思わせる風が街角を曲がっていったように見えました。

今回のプログラムは前半にはオーケストラのみでバーンスタインのウェストサイドストーリーよりシンフォニックダンス、杉山康人さんのソロでジョン・ウィリアムスのチューバ協奏曲。そして声が入るのは後半、イザベル・レナードさんのソプラノ・ソロを歌ったプーランクのスターバト・マーテルとラヴェルのダフニスとクロエ第二組曲でした。指揮は全てステファン・ドゥネーヴさん。

今回の合唱は、東京オペラシンガーズと、オーディションで選抜された地元OMF合唱団との合同でした。顔を合わせてから本番まではあっという間というのもあって、アンサンブルはどうだったでしょうか。こういう思いはやっぱりいつでも後に残るものだと思います。良い演奏として受け入れてくださったなら嬉しいです。

ダフニスとクロエはオーケストラのみでも演奏されるそうですが、総監督である小澤さんの強い希望で、元々の歌がある形での演奏になったのはとても良かった。僕は歌の入った形でしかもちろん演奏したことはないけれど、そうでないのは同じ曲とは思えないですものね。

OMF facebookより

オーケストラはフェスティバルの名前がOMFに変わっても、もちろんサイトウキネンオーケストラ(SKO)で、コンサートであっても、オペラであっても、このオーケストラを形容する言葉には未だに出会ったことがありません。
今回、僕は久し振りに舞台上でその音を体感して、特にダフニスとクロエでは、フルートはフルートでなく、ヴァイオリンはヴァイオリンでなく、流れる水の音、木々を抜ける風、鳥たちの囀り、ダフニスとクロエの肌を照らす光、若者たちの熱狂の足音。情景の、沸き立つ感情の、鼓動の波打つひとつに感じて、自分がどこにいるのか、目の前のきらめきく音に浮遊して溶けてしまうのではないか。

もうひとつ不思議なものが心に残った。それは特に二日目で、この素晴らしいオーケストラが見ているものが何なのか。もちろん指揮台に立つのはマエストロ・ドゥネーヴなのですが、音のうねりや拍を感じる呼吸、巻き上げる音のしぶきの中に僕には小澤さんが指揮をしている姿が見えてきて仕方なかった。それは僕の勝手な願望なのでした。

https://x.com/ozawa_festival/status/1695749190276755872?s=61&t=dGtcdLz0kcbUv6V84W8y-Q

*カーテンコールの様子です。クリックして外部サイトへ。