上海へ再び

3月15日から18日まで東京オペラシンガーズの一員として中国・上海へ訪れた。作秋に続いて2回目となる中国での演奏は深く記憶に残るものになった。

前回は上海国際芸術祭の中のプログラムとして、民間交流の1つとしての演奏だったが、今回は上海交響楽団の招聘で、陳其鋼《江城子》,ベートーヴェン《交響曲第九番》を演奏した。指揮は音楽監督である余隆。

マエストロは2017年に東京フィルハーモニー管弦楽団と《第九》を演奏していて、同僚の中では彼の指揮で歌った人もいたので、最初の音楽稽古の前のあいさも非常に親近感のある感じで話してくれた。

今回の演奏では、Qigang Chen作曲の江城子Jiang Tcheng Tseと出会えたことがとても幸せだった。昨年の3月に初演されたばかりの曲で、亡くなった妻への思いが叙情の極みである美しい旋律と共に語られる。中国語の歌詞があるので、一応ローマ字の発音表記はあるものの、大多数にとって不慣れな言語に、声楽家としてご高名なK先生が発音指導についてくださり、贅沢な準備をして上海へ向かった。

上海でも、作曲者がリハーサルに同席して、これもとても贅沢な事と思うけれど、こう歌って欲しいという箇所を実際に何箇所か歌ってくださった。よく響く美しい声に聴き惚れるほどで、演奏するための想像力が万倍にもなる程だった。楽譜にはソプラノ・ソロとあったが、それは中国の、確立されたジャンルとしての民謡歌手というのがあるらしく、リハーサルの第一声で魅了されてしまった。必要なすべてのものがそこに存在していて、僕たちはそこに溶け込んでいくのだ、という世界を見せてくれた。

僕たちは日本で準備していた時にはたどり着けなかった表現がここにはあって、言葉はもちろん、作曲者の息、感情の発露だったりというのは新鮮で、明確で、楽譜に書いてあるアクセント1つとっても正しさを持って演奏することは貴重な経験だった。

“音楽に国境はない”とよく耳にするけれど、国境というか、違いは現実にはあって、1つの音に対してそれを乗り越えていくという、感じ合うというのは言葉を解しない理解なのだろう、と思い巡らせる。

作曲者のQigang Chenのサインとプログラム

陈其钢Qigang Chen

《江城子》Jiang Tcheng Tse, for Chinese Soprano, Choir and Orchestra

唐漩璇 Tang Xuanxuan


Ludwig van Beethoven

交響曲第九番,作品125「合唱」

Symphony No.9 in D minor, Op.125 “Choral”

中村惠理

朱慧玲

宫里直樹

沈洋

东京歌剧院 Tokyo Opera Singers

上海交响乐团 Shanghai Symphony Orchestra

さらば、愛しさよ

年が明けてだったか、浅草にある老舗の洋菓子と喫茶の店、アンヂェラスが今年の3月17日に閉店すると言う知らせを聞いて驚いた。

初めて訪れたのに感じる懐かしさと、アンヂェラスというお店の名前がついた、黒または白のチョコレートをまとったバタークリームのケーキや、今風の、激しく飾り立てた洋菓子とは別世界の、一目で幼少の頃の温かい物語を思い立たせる風貌のケーキが列ぶショーケースは永遠だと思っていた。僕は古い客ではないけれど、ただ何の根拠もなしに信じていた。

昭和21年創業、というのだから戦後間も無く、今からは想像し難い世界だっただろう。その最中に、太い木骨組と白壁でまるで飾られたような外観と、贅沢に吹き抜けを持つ3階の建物は、だからこそなのか、それ自身の老朽化というのが閉店の理由だそうだ。

閉店の知らせを知って急いで訪れたのは3月初旬で、昼を迎えようとする、ケーキや喫茶を楽しむにはまだ早い時でさえ既に長蛇の列だった。平日にも関わらず、お店をぐるりと囲むように並び、30分ほど並んだだろうか、それでも今日は良い方だと整列を呼びかける係りの人は言っていた。

お店にはもう限られたケーキしかなかったけれど、僕は大好きなモンブランと、妻は初めて注文するプリン・ア・ラ・モードと、アンヂェラスは追加で注文した。帰りに買って帰る予定だったが、1時ごろだったか、早々売り切れてしまったので贅沢だったかなと思った胸をなでおろした。

僕たちが通い始めた10年ほど前には、やっぱり浅草だよね、と思わせる男性が働いていた。やっぱり、というのは独特な声と姿と表現するには難しい絶妙な接客なのだが、他に伝わらなくてもただそう言っておきたい人だった。

今はその娘さんだと絶対に信じている人が働いていて、常連と思しき人との会話する声が耳に入るや否や、ここで聞く最後の声に、妻は笑みと涙で忙しくなり僕もついでに涙目になった。

職業病なのか、声や音というのは感情と素早く結びついてしまう。いけないね、と2人でまた笑ったり泣いたり繰り返す。店内を眺めたり、写真を撮ったり、もちろんお茶を楽しんでアンヂェラスを満喫したのだが、長くいてしまうとどんどん寂しくなるものだ。

僕にとっては浅草とアンヂェラスは同じ歴史だから、その片方が失くなってしまうというのはもう片方の存在も無くなるようなもので、早く僕の浅草の片割れを見つけなくてはいけない。

メルヒェンといいたい字体と外観

2階階段の装飾。凝っていて今では珍しい
3階の装飾一部
アンヂェラス黒

こだいらチャリティーコンサート終演

3月10日、第9回東日本大震災復興支援こだいらチャリティーコンサートに出演しました。昨年に続き、主催の小平市在住の声楽家、下村雅人さんに声をかけていただき、同じく集まった多くの音楽家と、合唱団の皆様と一緒に舞台に立ちました。

昨年の様子はこちらから。

昨年同様、たくさんのお客様に足を運んでいただき、お志とあたたかい拍手と笑顔をいただきました。プログラムの最後に出演者全員で《群青》を歌いました。この曲は、南相馬市立小高中学校の2012年度卒業生と同中学校音楽教諭である小田美樹さんが作った曲です。シンプルな旋律ながら、信長貴富さんの編曲も相まって、歌っている側も胸を熱くさせる曲です。

チャリティーや支援に関してはいろいろな考え方がありますが、僕は下村さんからコンサートや支援の内容を聞いて、自分も力になれたらと感じました。毎年、募金額が増え、回を重ねるごとに”客席と出演者で一緒になって雰囲気を作っている”のだそうです。

皆様からいただいたお志は、支援が必要な方々に近くにある所へ全額が送られます。そういった場所を選んだ、り、出演者一人一人に声をかけてくださったり、ご夫婦の細やかなお心遣いに今年も感服しました。

出演者全員?と
しもさんこと下村雅人さん。大先輩の背中は大きい!

あれから8年。その間にも熊本、広島や大阪、北海道など多くの場所で災害が起き、被災された地域、そこに住む人たちに関する報道を見聞きします。

知らせの前で立ち尽くす事が多いですが、生きていく強さ、そして支える人達の優しさと温もりのひと押しになれたらと思います。

東日本大震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々が心穏やかに過ごす日が1日でも多くありますように願っております。

オペラ《金閣寺》終演

黛敏郎作曲の《金閣寺》が東京二期会の公演によって24日に終演した。

楽譜をもらってから2ヶ月、瞬く間に、というより、とんでもない速さで駆け抜けるように稽古から公演が過ぎた。劇場にいる時はとても長く、自分のかけらを落としては拾いに行く様な毎日だったのに、終わってみるとずいぶん前のことだったことに思える。そんな事を繰り返して、生きていると感じる自分をたまに不思議に思う。

マキシム・パスカル氏の大きな手で受け止められる音とドラマは、オーケストラと劇場空間においても何もこぼす事なく包まれて、光に満ちた舞台は、まるで音によって周る幾重にも重なった走馬灯だった。合唱団は歌う箇所が多く、客観的に舞台を観る時がなかったので、実際にどういう舞台になっているのか、美しい映像があったり、印象的な演出の出来事は知ることはできないけれど、観た方はどうかしら、重なったのなら嬉しい。

音楽的にも理解が深まる彼へのインタヴューがとても良いので終演後ではあるけれどもう一度読みたい。https://ebravo.jp/nikikai/archives/1395

同室の役者の方々と話をしていて、三幕の”京都シーン”のリハーサルを演出家・宮本亜門さんが度々繰り返された事があった。ものの数分のこのシーンはあまりにも繰り返すものだから申し訳ないと思っていた、と彼らから聞いた。あの数少ない群衆の場面のすぐ後、合唱がお経を唱えて入ってくのだけれど、その直前の静寂の情景に、群衆によって舞い上げられた艶やかさが、まだ舞台上に残る残像にふりかかる。舞台上のコントラストと、そこにある残り香がドラマを進めていた様に思われて、宮本亜門さんはずいぶんうまい仕掛けをしたものだ、と一人思っていた。的外れでいたらごめんなさい。

自分の仕事ぶりはさて置いて、合唱団の仲間に恵まれ仕事ができて、本当に良かった。顔を真っ黒に塗ったり、また落としたりする作業も、暗譜の不安を共有?したのも良い記憶だ。合唱はオペラの屋台骨だなぁと仕事をする度に思うが、この作品は燃え残っても、再建されても崩れない金閣寺のフォルムの様じゃないか!と今、思う。

オペラ《金閣寺》が観てくださった皆様の心の中のどのくらいかまで触れたか僕は想像もできないが、劇場の階段での立ち話の一つになったらきっと楽しい。

オペラって面白いな、と今また全ての人に感謝するとともに思い出す。

金閣寺に向かう

歌劇《金閣寺》は今週末2/22の初日に向け、既に劇場でのリハーサルが進んでいる。(こういうのを小屋入りとか劇場入りとか言ったりする。)

フランス、ストラスブールからやって来たプロダクションはとても美しく、僕たち合唱が着る衣装も一つこだわりのある、きれいな色味で、着るだけこの作品の世界へ向かわせる。

ストラスブール・ラン劇場(Opéra national du Rhin)の初演での様子を日本公演に合わせて紹介した記事。衣装や装置も垣間見ることができる。

https://ebravo.jp/nikikai/archives/1331

演出の宮本亜門さんの上演当時のインタヴュー

https://youtu.be/ePBa55-4Hzs

新国立劇場では石川淳原作、西村朗作曲の新作オペラ《紫苑物語》が先日17日に世界初演を迎え、3/2,3には、なかにし礼原作、三木稔作曲の《静と義経》(日本オペラ振興会公演)と期せずして(おそらく)邦人オペラ作品の上演が重なり、音楽仲間の中ではその話題でどうしても盛り上がる。

黛敏郎の《金閣寺》は上で挙げたそれらの中では一番古く、1976年にベルリン・ドイツ・オペラの委嘱作品として初演された。日本での上演は2015年の神奈川県民ホールでの公演が最新であり、それより以前は1999,1997,1991,1982年と遡る。三島由紀夫の超有名な原作で日本を代表する作品としては多いか少ないのかは僕には判断は出来ないが、やはり大きなプロダクションで成立する作品である事を自分の体感として持つ。

外国の劇場で作られた日本人演出家による作品を、二期会が制作して日本で上演するという、色々なことがクロスオーヴァーする様で、プロダクションの意義として大変面白い。そして作品そのものである「溝口」を歌える歌手というのは時代を現しているのではないか、と感じる。同役を歌われる宮本益光さん、与那城敬さんは金閣寺という作品が待っていた歌手なんだ、と思わせてくれる。

作品は「溝口」の体内をめぐる血液、脳内を流れる電流が音楽化されている様で、それをそのまま可視化する今回の舞台は一体どんなふうに観客に受け止められる事になるのだろうか。舞台のかけがえのない一部となれる様、まずはもっとその中に入り込んでいかなければと思う。