歌う楽しみ

演奏会のためのレッスンを受けていて、久々に心に響いた言葉を先生から受けた。もちろんレッスン毎に良い歌になるための全てをもらっているのはもちろんの事ではあるのだけれど。

「歌にしていくには、君自身が言葉にならなくてはいけないんだよ。」

これはたくさんの曲を歌っても1曲を歌うにしても同じく言える事で、僕が歌う意味というのを改めて考える一言だと感じた。声の事を考えたり、音程を取ろうとしたりせず、詩に向き合った作曲家が何を見たのか、その血の内を感じる事が歌う人の事なのであろうか。

外国語の歌の問題はネイティブに扱う人以外にはやはり言葉だろう。ひとつと単語を取り出してみても、辞書にある1,2,3と辿っていけば意味合いが変わってくる。誰かの読んだ対訳では1の最初の言葉だけど、僕には2番目の言葉がしっくりくる。意味は同じだけど。温度がね、手触りがね、こっちかな。とぶつぶつ言いながら辞書を次にめくる。曲に触れた時とはまた違った言葉が見当たるかもしれない。元の言葉は変わってないのに、レンズを変えて撮影するカメラの様に(ズームでもいいけど)自分の想像力の光をどうカメラに通していくのか、というのは面白い作業だと改めて感じる。

辞書もいらない流暢な言葉の使い手になるとこういう面白さはなくなっていくのだろうか。

学生時分に、何もない、ただ美しい詩に「これはどういう意味が、解釈があるのでしょうか」と語学の先生に尋ねたら、「言葉の通り読んでください。」と言われた事を思い出す。

歌うことは楽しい、といつも思う。

eiichiro
テノール歌手の宮本英一郎です。 演奏活動を通して、たくさんのことを皆様と共感出来たらと思っております。 演奏会のご依頼等ありましたらコメントからご連絡くださいませ。メール環境が整いましたら移行いたします。

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