ただあこがれにみちびかれて

僕は今一冊の本を目の前にしている。

佐々木成子著「ただあこがれにみちびかれて ある歌い手 60年の歩み」(1996年刊)

お名前を知ったのも、お言葉を交わすようになったのもこの5、6年であるので
その頃の明るい良く通るお声で、きれぎれに響く気持ちの良い笑い声を耳に思い出しながら読んでいる。
先生は5月15日、97歳でお亡くなりになり、5月にしてはとても暑いこの日、ご葬儀であった。

佐々木成子(ささきさだこ)先生は、東京音楽学校(現東京藝術大学音楽学部)を卒業後、日本交響楽団(現NHK交響楽団)など多くの演奏会でアルト・ソロとして活躍され、終戦後1955年に渡欧。1957年の帰国までに、ウィーン交響楽団との録音や、作曲家マルクスの生誕75周年コンサートにウィーン国立歌劇場歌手とともに出演するなど、多くの足跡を残された。
演奏活動と共に、ザルツブルグ国際モーツァルテウム夏季音楽アカデミーなど海外の講習会、東京藝術大学、武蔵野音楽大学、京都市立芸術大学、名古屋音楽大学などで後進の指導にあたられた。1965年には日本人で初めてオーストリア共和国から芸術科学名誉十字勲章を授与されている。

先生のご活躍、ご功績は書きつくせないものだし、それをする資格は僕にはない。
なぜなら僕が先生に会う時は、もう15年ほど先生にお世話になっている妻について行っている時で、
先生がお住まいになっているホームの娯楽室で開かれる門下生によるHaus Konzertと、その後に開かれるお食事会がほとんどであった。
先生はお相撲が大好きで、食事会の前はお部屋に戻ってお気に入りの力士の取り組みをご覧になってからにこやかに皆の前に戻ってきたこと、先生や出演者、門下生の方々に結婚のお祝いをしていただいたことを思い出す。

最寄駅からお住まいでありお別れの会の会場であるホームまで妻と歩いた。
もうこの道を歩く機会はそんなに多くはないのだろうかと思いながら、そんなことを口にすることはなく、暑さがいつもの道のりをとても遠く感じさせるようだった。
途中、京都での門下生の方とずいぶん久しぶりにお会いして、こんなことでもないと会わないなんていやだね、なんてお話を門下生同士交わしていた。

ご葬儀の場所はやはり悲しみがいっぱいで、佐々木先生のリサイタルの録音が献花を待つ控室に時折聴こえてくるとその歌声に各々が思いを巡らせているのを感じた。直接教えを受けたことがない僕は、ただその思い馳せる人の視線をたどることで涙の出口をそらすことくらいかできなかった。
僕の隣に座る妻の横には、やはり佐々木門下である日本で屈指のバリトン歌手がいらっしゃった。妻は通っていた大学でお世話になっていたこともあり、出演されたオペラの舞台を先生がとても自慢されてましたとお伝えした。リートのように歌っていたわ、と。
佐々木先生はオペラ嫌いやったからなぁ・・・と照れながら、寂しそうにも見える笑みでおっしゃっていた。
いざ、お別れに棺に花を飾る時もなかなか立てないでいて、さすがにその姿には僕まで泣いてしまうところだった。

前の日の晩、「明日が来なければいいのに」と妻は言った。
明日がある、明けない夜はない、なんて明日に向ける希望は数多あれど、明日が来なければいいのに、という願いは叶わないのは何故だろう。
望まない明日が来なくて、また違う人生がどこからか始まるなんていとうのはやはりちょっと虫のいい話なのだろう。

喪主、大ベテラン歌手と、もっとお会いできたらよい京都の方と、すばらしいピアニストと、佐々木先生も太鼓判を押す素敵な門下生の夫君と、たまたま近くに立っていた僕と6人で出棺のお手伝いをさせていただいた。
僅かな道のりを先生と共にいることが出来、最後にご一緒できて本当に光栄だと感じている。

帰りに参列のお礼の一つとしていただいた冒頭の本を少し読んだ。
戦時中から終戦にかけてのお話が胸を打つ。

このところで思い出すのは、妙に静かで平和な出来事である。
ある日のこと、私は庭先に持ち出した七輪に火を燃やし、
一緒に住んでいた生徒さんの作った食物を暖めていた。
団扇で七輪に風を送りながら鼻歌を歌う私自身の姿とその歌を、
私は今もはっきりと思い出すことができる。
リヒャルト・シュトラウスの「明日」という曲は、こう始まるのである。

  かくて、太陽は明日もまた輝く    (本文p26より)

eiichiro
テノール歌手の宮本英一郎です。 演奏活動を通して、たくさんのことを皆様と共感出来たらと思っております。 演奏会のご依頼等ありましたらコメントからご連絡くださいませ。メール環境が整いましたら移行いたします。

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