ミサ・ソレムニス

山田和樹指揮、横浜シンフォニエッタと東京混声合唱団によるベートーヴェン作曲《ミサ・ソレムニス》に参加していました。(11/24公演)

ソリストは田崎尚美さん、小泉詠子さん、小堀勇介さん、加藤宏隆さんと素晴らしい面々で、狛江市にあるエコルマホール開館30周年記念としての演奏でした。マエストロ山田とエコルマホールの鈴木さんとの長い、親密な関係から生まれた周年記念の演奏会を大曲で飾ることになりました。個人的にはいろいろありましたが、良い演奏として満員の客席に響いたとのこと。その一つとなれた事に感謝します。

ベートーヴェンのミサ・ソレムニスは1時間を超える大作で(今回は1時間半くらい!) 自らが「最高傑作」と言葉を残すほど、たくさんの研究を重ねてその音楽に反映されている。今回の音楽稽古の冒頭で、山田さんから「これはオラトリオなんですよ!」と一言あって、それはベートーヴェンが残している言葉でもあり、演奏の記録としては初演はオラトリオとして演奏され、また別の機会には《ミサ》の翌年に書き上げた《第九》と抱き合わせて演奏をしたりと作曲者の熱の入りようがわかる。初演された時代、教会の典礼で演奏する事と、同じ曲が他の場で演奏される事がどのくらいの違いがあるのか、僕にはわからないのだけれど、この大曲の存在が後々の音楽に与えた影響というものは本当に大きいということが今回知ることができた。

僕はどうやら20年前にこの曲を歌っているらしいのだけど、肝心な音楽を分厚くハケで塗って頭からすっかり消し去っていて、(ついぞ戻ってくる事はありませんでした) 今年の東京春音楽祭で演奏された《ミサ・ソレムニス》を聴きにいったのが僕の最新の記憶です。それはとても良い演奏だったので、いつかこの曲を歌う機会があったらいいな、と思っていたら東混からお話が来た次第。ルクセンブルク以来1年ぶりの山田君の指揮でもあるし、またとない機会でありました。

横浜シンフォニエッタの前身は、山田さんが大学生の頃に同世代の学生たちと組んだトマトフィルハーモニー管弦楽団です。僕は彼とは学年が一つしか違わないので、メンバーの中には同級生や、大学の校内で見かけた事があるとか、学生の頃からの活躍を横目で見ていた人達が多く演奏していたので、自分がいつの時代に演奏しているんだろうと不思議な気分になる時もありました。

最後のリハーサル中だったかな、ヴァイオリン・ソロを演奏した渡辺さんに、「僕は46年生きてきて本当に良かった。」と山田さんが声をかけた。きっとその場にいた人は同じように感じたのではないだろうか。僕も同じ気持ちだったな。

写真は終演後、楽屋から見た景色。きれいでした。

 《ナターシャ》を観る

新国立劇場で《ナターシャ》を観た。日本の劇場から劇場作品を発信するプロジェクトは《紫苑物語》(2019)《アルマゲドンの夢》(2020)に続き今回で3作目だったかと思う。僕は音楽をしていて舞台にも立つのだけど、今回初めて聴きに行くことにした。熱心なオペラファンでない事がバレてしまうが(同時に舞台に立つチャンスがなかったことも)率直な感想として、観に行って良かったと思える作品だった。

芸術監督の大野和士氏がこの一連の委嘱作品の発起人で、この《ナターシャ》も,作曲の細川俊夫氏の最良の理解者という関係があって、彼のオペラ作品の日本での“世界初演“になったというのを彼のインタヴューで知った。そう、僕は観るにあたってほとんど予備知識がなかった。オペラの物語は頭に入れていったが、大野↔︎細川↔︎多和田という長年に渡る濃密な人間関係が、この世界初演に結びついたことくらいは知っていて良かっただろうな。

少し前、どの新聞だったか、多和田葉子氏の著作の書評とインタヴューがあって、僕はそれを目にして小説を読み始めていた。ナターシャの台本を書いたのが彼女だと知って、こういう書法がどう音楽化されるのだろうかとか感じた。多言語で構成されるオペラというのがどういう形になっていくのだろうか、それは《地球にちりばめらて》を読んでおいて,何がどうという説明は難しいが感覚として大きな助けになった。オペラを観ている間、器楽の、合唱の響きはまるで小説のページの行間や余白の部分、文字の間をたゆたう小さな波だった。聴衆としての僕はそこから言葉を掬って眺めたり、それをまたページに戻したりしていた。

多言語で作られたオペラ、というのは僕は初めて経験した。主要な人物だけでも3つ以上の言語が舞台上にあり進んでいく様は、その言語の存在を受け入れるものと同時に、受容が前定義されていて、どう構築されるのではなく、あるもの。僕はとても新しく感じた。もう一度、ラジオでもテレビでも放送することがあるのなら(願わくは再演だけれど)確かめたいこと、もう一度求めたいことが多くある。こんなにも後から考えるのが分かっていたなら何回も観る計画をしておけば良かった。

劇場のHPにあったインタヴューをいくつか貼っておく。これから出会う文学や音楽を理解するためのヒントにもなり得る良いものだと思う。自分にとってね。

時々ではあるけれど劇場の客席に座る身として感じたのは、気のせいかもしれないが、外国人の聴衆を今までになく見かけたという事。多和田、細川という海外でも素晴らしい評価を得ている作家たちの初演作品ということもあるだろう。それに新国立劇場という日本で一つのオペラハウスに、例えば観光の選択肢として訪れるというのがあってもいいよね。

10

タイトルは10ですが、今は12月です。

ブログを書かない間もいろいろなことがありましたので、少しずつ書いておこうと思います。

10月は東京混声合唱団の一員として、モナコ、フランス、ルクセンブルクの3カ国をツアーで訪れました。ヨーロッパに行くのは20年ぶりでしたし、ほとんどの都市が初めてでした。素晴らしい経験を、素晴らしい人達と過ごせた事は僕の音楽家としてだけでなく、人生の重要な経験となると思います。

東京混声合唱団のホームページで、ツアーの詳細がありますので、ご覧いただければ幸いです。

1月にはその演奏の一部をお聴きいただけると思います。https://www.nhk.jp/p/premium/ts/MRQZZMYKMW/blog/bl/p1EGmp948z/bp/p2wbOZOzx9/

合わせてお楽しみ下さい。

東京混声合唱団は1956年の創団から現在に至るまで、日本の音楽、とりわけ合唱シーンにおいては常にトップランナーでしょう。戦後日本に合唱というものが根付き、多くの人の合唱経験と素晴らしい作品が生まれるその相互作用の中心には、この合唱団が存在していると思います。東京混声合唱団の創団メンバーである田中信昭先生が9月に亡くなられました。心より哀悼の意を表します。

団員の一人一人に刻まれる信昭先生の音楽の記憶と共に、また新しい音楽が作られていく、その始めにご一緒できた事は、何よりも僕の心に残っている事です。

4→5

東京春音楽祭で感じたことを書こうと思っているうちに、やはり1日1日が過ぎていき、季節は夏となりました。5月5日は立夏で、立派に夏なのです。

春祭ではたくさんのプログラムが演奏され、それを楽しむ人々が上野に集まりました。現地点から振り返ると、covid-19の影響があった4年というのは長かったですね。失った時を振り返る訳ではありませんが、もっと音楽を愛したかった人に僕の1日、あなたの何時間かをシェアすることはできないでしょうか。そんな事を思う季節でもあります。

僕は春祭でBruckner《Missa no.3》とVerdi《Aida》に参加しました。
劇場に訪れる方も多く、同時配信もありましたので、多くの方に楽しんでいただけたかと思います。1ヶ月、上野のどこかしらで毎日のように世界から演奏家、聴衆が集まる中で、本当にたくさんの方が演奏会を支えてくださったことに演奏者の1人として感謝します。この音楽祭を取り仕切る鈴木幸一氏の言葉を借りれば、ここで行われた音楽は「音の記憶」をたくさんの人に残していると思います。

HPや公式プログラムには興味深いインタビューが掲載されているので、折を見て読み返してみたいと思う。

4月

3月は終わり。4月は始め。

別れには多くの言葉はいらないだろう。過ぎた事だからさ。

特にね、君と僕の別れには。そう、最後まで一緒だったからね。

一言でも交わすことがあったなら、それは幸せだっただろうか。

終わりと始まりを繋げているこの季節には時折雨がふる。

雨宿りでもしていくかい?





僕の4月の歌の仕事、幸いにも東京・春・音楽祭に参加しています。

今年もスペシャルなプログラムが並ぶ音楽祭だが、その中の2つの演目に合唱として出演します。

ストリーミングでもお楽しみいただけるこの音楽祭、上野にいらっしゃれない方はこちらをぜひご利用ください。

ブルックナー《ミサ曲第3番》
4月13日(日)14時開演
ローター・ケーニヒ指揮
東京都交響楽団
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ヴェルディ《アイーダ》
4月17日(木)14時開演
4月20日(日)14時開演
リッカルド・ムーティ指揮
東京春祭オーケストラ

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