Macbethを観ましたという話

随分久しぶりに映画館に行きました。

マクベス。デンゼル・ワシントンにフランシス・マクドーマンドという顔合わせ、監督がジョエル・コーエンというのに俄然惹かれたわけですが、昨年、ムーティと一緒に勉強した(←大袈裟)ヴェルディの作曲したオペラの“超“有名なシェークスピアの戯曲ということは僕にとっては大きな理由です。

全編美しいグラデーションの白黒で撮られていて、この映画の場合グレースケールというんでしょうか(ちゃんと調べてないですけど)、今の時代にこの手法を取っているというのはただのノスタルジーではない、技法としてより手の混んでいるものを詰め込んでいることでしょう。画面のアスペクト比も、BBCが残したシェークスピア全集をモチーフにしているのでしょうか。美しさというのには作り手の果てしない吟味が伴っているのは確実にあるでしょう。

映画を観終わって、戯曲を読み終わった時も思いましたが、ヴェルディは随分大変な思いをしてオペラにしたなぁ、と感じます。戯曲から映画でする時もそうでしょうが、何を残してどう描くか、オペラとして上演する効果的な方法を取っていくのでしょう。それに見合ったものが作品化されて、上演されて、なおかつ残っていくのだろうと思います。同じくシェークスピアのリア王もヴェルディは作曲したいと考えていたそうですが、完成していたらどんなものになっていたのでしょうか。

そう、イタリアはミラノ・スカラ座の今シーズンのオープニングはヴェルディのマクベスが上演されました。指揮はリッカルド・シャイー、演出はダヴィド・リヴァモア、マクベスにルーカ・サルシ、マクベス夫人にアンナ・ネトレプコなどスカラ座でヴェルディを、マクベスを上演することには隙のない面々。演出は見た目ほど尖っていないのもあって後々映像で観ても面白いと思います。日本ではダイレクトで観られませんでしたが(観られました?)今はYouTubeで探すと観られると思います。僕は日本時間の夜中にradioRaiで聴きましたが、ラジオはいいですね。再認識。

映画の話に戻りますが、映画は映画館がある意味そのなんと言いますか、ライブといいますかチケットを買って、それは別にネットでもいいんですが、扉が開かれた、椅子の並ぶ、スクリーンのある劇場で観るというのはそれが同じものを同じ劇場で観たからといって同じ体験ではないと思います。映画の中でどこかに引き戻される感覚というのはライブにつきもののものでちょっと違う話になりますけど、特別なものであると思っています。それにお金を払うというか。今はコロナ禍という事もあって緊張感を持って観ることになりますが、劇場芸術にそういった緊張を少しでも和らぐ日がやって来る事をひたすらに願っています。

と言っておいて、この新しいマクベスは映画を観てから知ったのですが、、、、Apple TVで配信されているのでいつでも観られる!なんと!あぁ、僕が先に言った事はどうなるんでしょう、それは観てのお楽しみ。そういう意味でも一捻りあって作ってあるでしょうか。

eiichiro
テノール歌手の宮本英一郎です。 演奏活動を通して、たくさんのことを皆様と共感出来たらと思っております。 演奏会のご依頼等ありましたらコメントからご連絡くださいませ。メール環境が整いましたら移行いたします。

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