オペラ《金閣寺》終演

黛敏郎作曲の《金閣寺》が東京二期会の公演によって24日に終演した。

楽譜をもらってから2ヶ月、瞬く間に、というより、とんでもない速さで駆け抜けるように稽古から公演が過ぎた。劇場にいる時はとても長く、自分のかけらを落としては拾いに行く様な毎日だったのに、終わってみるとずいぶん前のことだったことに思える。そんな事を繰り返して、生きていると感じる自分をたまに不思議に思う。

マキシム・パスカル氏の大きな手で受け止められる音とドラマは、オーケストラと劇場空間においても何もこぼす事なく包まれて、光に満ちた舞台は、まるで音によって周る幾重にも重なった走馬灯だった。合唱団は歌う箇所が多く、客観的に舞台を観る時がなかったので、実際にどういう舞台になっているのか、美しい映像があったり、印象的な演出の出来事は知ることはできないけれど、観た方はどうかしら、重なったのなら嬉しい。

音楽的にも理解が深まる彼へのインタヴューがとても良いので終演後ではあるけれどもう一度読みたい。https://ebravo.jp/nikikai/archives/1395

同室の役者の方々と話をしていて、三幕の”京都シーン”のリハーサルを演出家・宮本亜門さんが度々繰り返された事があった。ものの数分のこのシーンはあまりにも繰り返すものだから申し訳ないと思っていた、と彼らから聞いた。あの数少ない群衆の場面のすぐ後、合唱がお経を唱えて入ってくのだけれど、その直前の静寂の情景に、群衆によって舞い上げられた艶やかさが、まだ舞台上に残る残像にふりかかる。舞台上のコントラストと、そこにある残り香がドラマを進めていた様に思われて、宮本亜門さんはずいぶんうまい仕掛けをしたものだ、と一人思っていた。的外れでいたらごめんなさい。

自分の仕事ぶりはさて置いて、合唱団の仲間に恵まれ仕事ができて、本当に良かった。顔を真っ黒に塗ったり、また落としたりする作業も、暗譜の不安を共有?したのも良い記憶だ。合唱はオペラの屋台骨だなぁと仕事をする度に思うが、この作品は燃え残っても、再建されても崩れない金閣寺のフォルムの様じゃないか!と今、思う。

オペラ《金閣寺》が観てくださった皆様の心の中のどのくらいかまで触れたか僕は想像もできないが、劇場の階段での立ち話の一つになったらきっと楽しい。

オペラって面白いな、と今また全ての人に感謝するとともに思い出す。

eiichiro
テノール歌手の宮本英一郎です。 演奏活動を通して、たくさんのことを皆様と共感出来たらと思っております。 演奏会のご依頼等ありましたらコメントからご連絡くださいませ。メール環境が整いましたら移行いたします。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。