6/25のコンサートに向けて出演者一同練習に励んでおります。
ノヴァンタノーヴェの演奏会は、イタリアの声楽曲を取り上げて演奏している。演奏者は僕が大学時代からお世話になっている三池三郎、弘美両先生とその門下生で構成されていて、聴衆に対する音楽の一面もあれば、演奏者自身の音楽への理解を深める面も多分にある。
毎年テーマを決めて、それに沿った作曲家、作品を選び演奏するわけだが、オペラ、歌曲、宗教曲、そして時代に問わずイタリアの音楽は美しいな、と常に感じている。
昨年は1880年代に生まれた作曲家に中心にしたプログラムで、なかなかに難しい曲が多かったもののロマン派の作品に比べると聴きなじみがあるわけではないレスピーギ、ザンドナイ、ピッツェッティ等の作品の素晴らしさの一片を伝えることに出演者一同努めた。
45回目になる今回のプログラムは、副題にある「独唱と二重唱400年のあゆみ」の通り、
モンテヴェルディ、ロッティ、ヴィヴァルディ、パイズィエッロ、モーツァルト、ロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティ、メルカダンテ、ヴェルディ、チレア、モルタリといった16世紀から20世紀の作曲家の作品からイタリアの音楽の400年を感じていただこうというプログラムになっている。
イタリア音楽=オペラというイメージはやはりそのまま事実でもあるのだけれど、作曲家は大きな舞台作品と共にサロンで演奏するような小品もまたたくさん作っていて、それでいても”らしさ”を失わない。
ヴェルディの歌曲をとっても、その舞台作品の壮大さ、劇的なものは4ページの1曲になっても何1つ失うことがなく、より凝縮したものとして感じることもできる。
またオペラというジャンルひとつにとってもその成り立ちに大きな物語があるように、それを作っている独唱、合唱、器楽曲それぞれにそれぞれが刺激し合う歴史があって、それが育んだ土はイタリアだ、と言い切ってもとやかくいう人は少ないんではないだろうか。
大学に入った時先生に最初に言われた事は、音楽はその国の文化の1つの側面であるから音楽を勉強するという事は歴史、文学、美術、料理、生活様式も含めて多面的に勉強する事なんだよ、というのは自分の底辺に据えられているな、とノヴァンタ〜に参加する度に確認している。
あと2週間と少しほどであるが、また少し追い込んでより深い理解と良い演奏につなげていきたい。
そして、1人でも多くの人に多様な音楽の楽しみを感じてもらえたらという希望を持って、せっせとお手紙書いたりメールを送ったりと集客の努力もしなければ!
カッターい文章になってしまったが、6/25はヤマハホールでお待ちしております!