そうだ、オペラに行こう

僕の計画性の無さからいって、そうだ、オペラに行こう!と思った頃には人気の演目は早々に売れてしまっているし、あったとしても高い席しかなくて諦めてしまうことが多い。。。

今回幸いにも良い席が手に入ったので新国立劇場の『愛の妙薬』に行ってきました!

サイミール・ピルグ、ルクレツィア・ドレイなど世界の声を、3月14日(初日)の緊張感の中で聴くことができました。

『愛の妙薬』の物語は、純朴な若者が幼馴染の気になる女性の気を引くために、愛の妙薬と称する実はただのボルドーワインをなけなしのお金で手に入れて巻き起こるドタバタ喜劇。

イタリアの劇場で初めて観たのも愛の妙薬だったし、コレペティトールのローチ先生と一緒に全曲通しての勉強もした思い出のオペラ。

君の声にも性格にもよく合ってる役だと思う、と先生にも言われ密かに持ち役としているので、いつオファーが来てもいいように!!またちゃんと勉強をし直そうと思います。

新国立劇場の演出では元のバスク地方という設定ではなく、明るくポップな現代風の舞台。舞台の幕もこんなに明るくて文字フェチの僕としては観る前から気分が上がります。

ピルグの明るい声の質と軽妙な演技と節回しが演出の色彩にも合っていたし、ドレイのアディーナは、あぁ、イタリアの女性だなぁ(別に付き合ったこともないし勝手な僕の理解の中の)と感じさせる雰囲気で、2人はとっても良い組合わせでした。

ピルグは本調子ではないだろうな、と感じましたが、うまく抜くというか、かわし方がやはり超一級で、表現に変えてしまって、逆にそこで観てる方が引き寄せられる。うまいわぁ。。。

実はただのワインの偽の薬を売るドゥルカマーラのレナート・ジローラミはきっとイタリアなら爆笑をかっさらうくらい豊かな役作り。

あぁ語り出したら止まらない。。。

ついこないだまでヴァーグナーをやってたベルコーレの大沼君の振り幅にも感動したし、オケも合唱も快活にオペラの中を生きていたのが観ていてとても嬉しくなりました。

カーテンコールも終わり、4階の席から帰ろうかという時にひと組の老夫婦の会話が耳に入ってきました。

「本当に楽しかったね〜」

あぁ、今回オペラを観にきてここが僕にとって一番感動したところでした。

大きな拍手に溢れる大きな劇場の姿もまた良いのですが、この一番小さな単位の私的な”小さな劇場”の言葉を聴けたことが、僕はこの舞台には出てないですけど音楽に、オペラに携わってて幸せなだなぁと思うのです。

こんな会話をいっぱいにしていける一端にいられるよう、日々精進であります。

チャリティーコンサート終演

今年の3月11日(日)は先輩の下村雅人・敬子ご夫妻が主催する第8回東日本大震災復興支援こだいらチャリティーコンサートに出演しました。

下村さんの呼びかけに答え、毎年たくさんの歌手、ピアニスト、そして合唱団の方が集まります。小平市中央公民館のホールでたくさんのお客様にお集まりいただき、復興支援として志を集めて、いただいたままを被災地へ送っているとのことです。
活動は前々から知っていましたので、出演依頼をいただだいてとてもうれしたかったですし、その場ですぐにお引き受けしました。
募金箱ひとつから手作りの、思いの詰まったコンサートに出演できたことに感謝です。

地震が起きた時間はコンサートを中断し、公民館全体で黙祷を捧げました。

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フランスの歌の午後、終演。ありがとうございます!

北習志野にあるピアノサロン樂でフランスの歌をテーマにしたコンサートでした。
名曲と向き合うとても貴重な時間をいただいたと思います。
いらして下さったお客様に感謝申し上げます。

 

お客様と・・・近い・・・

サロンの経営者でもあり、ピアニストの服部めぐみさんと。続きを読む →

ヴァーグナーの楽しみ

「ヴァーグナーって大事な事をゆっくり、何回も言ってくれるから飽きないんですよ」
と横に座った同僚が楽しそうに話してくれた。

ヴァーグナーにまつわる幾つかのイメージ(それは僕が持っているものでもあるのかも)を簡単に弾きとばす言葉が新鮮だった。

“幾つかのイメージ”のひとつとして、ヴァーグナー作品は“長い”というものだ。
ヴェルディなどのイタリアオペラ作品だって時間としては短いわけではないが、ヴァーグナー作品の特徴として途切れることがない旋律や和声展開で作品が作られていることで、やはり長大なイメージがあるのだろうか(5時間を長いととらえるかはそれぞれとして・・・)

もう一つに、ヴァーグナー音楽が用いられた歴史が大きい。主だって第二次世界大戦の中でのその音楽のあり方が80年近くたった今でも拭えない。ある有名な日本人ヴァイオリニストがテレビ番組で「僕はヴァーグナーが嫌いです。認めない。」とまで言っていたのにびっくりした。好き嫌いを言うのは勝手だけれど、個人が評価を下すことではないだろうに、しかも公共の電波で。。。彼が気に食わなかったのもその歴史であって作品ではなかった。

2017年のバイロイト音楽祭で話題となった《ニュルンベルクのマイスタージンガーDie Meistersinger von Nürnberg》の公演の評を読んだ。

https://mainichi.jp/classic/articles/20170906/org/00m/200/010000d

リンク中の宮嶋氏の言葉を借りると”音楽家としての解放”というのがこの演出の中心であって、そう訴える必要がある空気というのは日本人ヴァイオリニスだけでなく本家にもあるのかもしれない。

大事なのはヴァーグナー自身によって書かれた言葉だ。彼の劇作品は自身の台本で、そして作曲された。登場人物が自身を語り、紡いでいく言葉が音楽を持って一緒に展開していくのがこの作曲家を楽しむ醍醐味なのだろう。

今取り組んでいる《ローエングリンLohengrin》の舞台はいわゆる読み替え演出という、忠実な再現としての演出というより、ある状況に置き換えた演出になるのだけれど、深作健太さんが拾い集めたヴーグナーの言葉から描いた舞台によって新たに作品が”解放”され、観た方々に届くのではないかと思っている。

舞台でその一片を僕も拾っていきたい。

歌曲とオペラ、行ったり来たり

東京の週明けはまた少し冷えるそうだが、立春の今日は春を迎える呼吸が聞こえる暖かさがあった。

ソロのコンサートまでちょうど1ヶ月となり、ピアノとの合わせも回を重ねひとつひとつの曲の色が濃くなってきた。フォーレの歌曲は彼の初期のものを選んだのだが、そのシンプルな美しさにもっと寄り添っていきたい。

その前に本番を迎える、東京二期会公演ヴァーグナー作曲の歌劇『ローエングリンLohengrin』に僕は合唱団の1人として参加している。稽古は佳境をむかえ、指揮者の準メルクル、演出家の深作健太を先頭に21日の初日に向かって走り抜ける。

フランスの作曲家ガブリエル・フォーレ(1845〜1924)は、ヴァーグナーのオペラを観劇しにドイツまで足を伸ばしたという。1879年から3年間、ドイツ各地へ向かい、今僕が取り組んでいる『ローエングリン』も1881年に観劇している。(“フォーレとその歌曲”河本喜介著、音楽之友社参照)

そういった経験がどれほど作品に影響しているかはまた別の話として、フォーレが聴いた音楽を”今”演奏しているという繋がりにとても面白さを感じている。

オペラに浸ると歌曲の中にある心の動きを強く感じるし、歌曲に浸るとオペラの大きな音楽の中に走る無数の血管を感じる。どちらも楽しさがあり難しさもあるのだけれど、歌曲とオペラのその両方を行き来して味わう事はとても幸せな事と思う。