びわ湖ホールの公演が終わり、その日の内に新幹線に乗り東京へ戻った。
それからは、いや本当はそれ以前からだが、covid19 によって日毎に状況が変化し、私の周りの職業としての音楽の世界は元より、ほとんどすべての人の生活の明日が見えない状態だ。
中国での感染流行から瞬きするたびに入る新しい情報は、静かな波が足元の浜の砂をそぎ落としていくようだった。
公演は、ご記憶の方も多いかと思われるがとても反響が多く、ネットでの配信はオペラに縁のない人にも、その存在を知ってもらえた良い機会だったと思う。配信までの経緯はたくさんの記事にまとめられているので、「びわ湖ホール」や併せて「リング」と検索してもらうと良い。
東京での稽古から不安は合唱団の仲間内で話されて、京都への新幹線に乗るのも少し勇気が必要だった。不安とかその時抱いたそういうものは、その先にまだ公演という目標があるからだったのだろう。帰りの新幹線に乗る時の不安とは全く意味合いは違った、と振り返ると思う。
ホールで稽古をしていく中で、東京にいる仲間たちの音楽が奪われていく知らせを耳にすると、自分たちのこの状況は良いのだろうが、何故続いていくのだろうというかという漫然とした疑問を楽屋で話し合った。不安が滲んでぼやけてしまった意志は、舞台にいると忘れてしまうので、毎日その繰り返しだった。時折洗面所で会ったホール側のスタッフが時間をかけて手を洗い、顔も洗っている姿を見かけると、はっと我に返って、今は舞台をつとめるんだ、と思った。
公演に関する道筋が定まって、この公演に関する人間は、もちろん自分も含めて、横文字で言うと何かもっともらしいものがあるかもしれないが、一種の悦に入っていて、普段なら起らないだろうトラブルは「悦」によってより小さなものになった。小さなものならそれでいいのだけれど。公演が終わっても、観た人からの応援の言葉に何か覆われてしまったように思う。
我々は成し遂げた、という満足は果たして正しいのか。それはもう過去の事だから再び選択する事は出来ないし、舞台を作る一片として、再び同じ状況に立てば同じように選択するだろう。
だが、今この時期でも無観客での演奏の成功の喜びがあるのは、・移動をして・集まるという、かなりのリスクで、その方法が取られるのは先陣を切って行った神々の黄昏の舞台の「成功」があったからではないか、と思ってしまう。
こういうのはただの思い上がりなのだろう。
三月までに書いておきたかった。遅くなった。
音楽が、また再び我々にその手段を与えてくれるのなら、共に喜び、その音を愛そう。
その日まで、優しさと慈しみを持って命を尊ぼう。