昨年のこの頃はジルベスターコンサートの楽屋にいたので観られなかった、自分も演奏したN響の”第九”を観て、音の渦にいた時には気がつかなかった光景を思い返した。録音は云々といろいろあるだろうが、そもそも音楽というのはそこにしかないので後に残るものは記憶と結びつく”何か”でしかないのかもしれない。そういうところは写真と似ているかな。(写真は表現とか観る人それぞれに介入する権利があるが)
今年も残すところあとわずかと、どこかで区切りをつけるのは人の業だろうか。時を超えて残された数々の作品と、または新しく生まれてくる音を、自分の声とどう紡いでいくのか、課題は山のようだが楽しみだ。
どうか、あなたに良き音楽と素晴らしい日々がありますよう祈っています。