20日の初日は、前日の発表の通りオネーギン役のレヴァント・バキルチLevent Bakirciから、同役のカヴァーを務めていた大西宇宙(おおにしたかおき)が歌い、演じた。彼は、公開GPでも本役の体調不良により舞台に立っているし、シカゴでの同じプロダクションでも本公演の三幕途中から歌っているので、危なげなく、と言っては失礼だろうか、存分に彼の魅力を聴衆は堪能したのではないか。合唱団は誰が舞台に立っていようと舞台では同じように振る舞うのが務めだけれど、僕としては、大西君の歌うオネーギンが、いや今回ばかりは彼がこれからどうなっていくのか希望めいた視線がまつげの端からあっても許してはくれまいか。
三幕二場でタチアーナとオネーギンの重唱になると、楽屋にはカーテンコールのためのアナウンスがかかる。出演者は全員方々の袖に控えていて幕切れを待っている。
タチアーナ役のアンナ・ネチャーエヴァ Anna Nechaevaが、オネーギンに永遠の別れを告げ舞台袖へと引き上げる。いつものリハーサルであれば、チェックに入ったり、カーテンコール位置に向かうが、初日、彼女は立ち止まった。舞台袖の踊り場で、胸に手を当てて立ち止まり、オネーギンの独白を、胸の内の叫びを、まるで現実の、扉の向こうで自らの言葉の責苦と共にあるように、タチアーナは感じていた。O,жалкий жребий мои!(おお、私の哀れな運命よ!)というオネーギンの言葉に胸を締めつけられている。何ということだろうか。音楽のすべてが鳴り終わるまで、タチアーナがそこにいたのだ。終演へと向かう安堵の気持ちなど起こるはずもなく、彼女の姿に息をのんだ。
何度もリハーサルをし、同じように終幕を迎え、そして本番を迎えたのだが、初めてこのオペラを観た時へ、僕の心は新鮮さを持って立ち戻った。
どれだけその新鮮さを持って舞台ができるのか、心を新たにまた二日目を迎えようと思う。