今日の空は僕が住むところでは曇りであったので、赤い日没を眺めるというのはかなわなかったけれど、時間を錯覚するほど何だかいつまででも明るい気がして街を歩いていた。
夕方の空は、淡い水彩画を描いた後の筆洗いの水の様に思えた。ちょっと湿り気もあって、雲が太陽からいろんな色を盗んで自分たちだけで楽しんでいるみたいだった。
僕は小学生の頃、図工の時間の後の黄色い筆洗いのバケツが何だか好きで、描き終わった後の満足感と摩訶不思議な色合いと澱みに見入っていて、それを同じ流し場でクラスメイトのものと混ざり合って流れていくのはまたこれも楽しかったように思う。
昔、イタリアのシエナで夏を過ごした時は(それは8月だったから今時分ではないけれど)、随分遅くまで明るくて20時を過ぎてようやく空が紅く染まり、薄暗い光の室内から聖アゴスティーノ教会のシルエットをもったいぶって空に残しているのを見ていた。それから闇が下りてくるのは早くて、あんなに昼間は空が青いのに夜はとても深いのは不思議なもんだと覚えている。
いつでも空の記憶はあるけれど、思い立って書き出してみるのも面白い。
「夏至」というきれいな映画があったと思う。鮮やかで潤いのある色彩を覚えている。また観たい。