この言葉を聞いて違和感のない人に僕は親近感を感じずにはいられない。
今日は、昨年末から指導している和光混声合唱団の練習日でした。
各フレーズの冒頭の和音、音色など、結構しっかり練習をし、ピアノ独奏部から自然な、そして的確な演奏を目指しました。
ピアニストは大学時代の同級生で、その縁もあってこの団のヴォイストレーニング、指揮を任されることになったのですが、練習が終わるなりピアニストから
「うったて、って解る?」
久しぶりに聞いたが、特に違和感は感じず唐突さに驚いたくらいで、加えて
「これって方言なんだって!」
なるほど、どうりで最近聞かないわけだ。
『うったて』とは岡山県、香川県の一部で使われる言葉で、辞書の様に表現するならば
書道での起筆、それに取り組む一連の集中した心持ち。また物事に取り組む最初の様(さま)
というところであろうか。
ピアニストは岡山県出身で、僕は小中高のほとんどを香川県で過ごし、父は岡山の出なので、うったてには違和感がないわけだ。
習字の時間の、墨を含んだ筆が半紙にひたとつき、緊張した手にその感触が伝わる体感、映像、匂いを僕はその言葉からは感じるのである。
今日の練習は、まさしく『うったて』を取り上げた練習だったわけである!
『うったて』に限らず、ある地方でしか使われないが置き換えられない、伝えきれない生きている言葉は全国にたくさんあるのだろう。
「翻訳できない世界のことば」
こんな本が話題になったが、世界に目を向けたらそれはもう数えるのが無駄なほどであろう。
そもそも言葉が違えば、文化が違えば、一単語=一単語という比重ではなく、新しく知るその言葉が持つ歴史を知るわけで、
言葉のある音楽をする者としては、謙虚さをモットーとする他ない。
週末に向けて控えている演奏会の事をなんとかしてホームページに載せたいのになぁ。