東京二期会公演、プッチーニ作曲《三部作Il Trittico》を観劇した(9/6公演日)幕開けから集中力の高い、オーケストラの影のある音色でこれは何かが起こるというのを予感させたのはプッチーニの手腕なのか、それとも指揮者ベルトラン・ド・ビリーの手腕なのか。
既に今回の演出をヨーロッパで成功させている演出家ダニエレ・ミキエレットが開幕前のプレトークで語っていた、プッチーニの映画音楽に通じる先駆的手法に大きく触発された感性は全編に渡って統一されていて、フェリーニやパゾリーニのモノクローム、フランスの伝統的なミュージカル映画のような鮮やかな色彩、ラース・フォン・トリアーの退廃を舞台から見受けられた。
素晴らしい演出だと思えるのは、それらがコラージュではなく、舞台に内在する大きなフィルムロールが回る中に僕たち観客が紛れ込むようでもあり、音楽が、声が、生きている音として体液に直接響く。プッチーニが作曲し、丁度100年前に初演された《外套Il Tabarro》《修道女アンジェリカSuor Angelica》《ジャンニ・スキッキGianni Schicchi》が新国立劇場の舞台で《三部作》として上演できたのは、何よりたくさんの素晴らしい歌手がそれぞれの物語の帰結に吸い込まれるように、大きくもなく小さくもなく、収まるべき所のプッチーニの音楽を歌ったからだ。これもまた演出家自身が語っていた、台本作家のジョヴァッキーノ・フォルツァーノGivacchino Forzano(1884-1970)が亡くなったわずか5年後自分が生まれたという親近感(プレトークより)が歌手一人一人にも感じられているのか、大作曲家の作品を演じるのではない、自分の身を、言葉をより近づけていたのが僕たちを引き込んでくれた親和性となっていたと思う。また、各作品にあてがわれた、古典的な劇要素がTrittico(三幅対)の名の通りに、並び合う事で共鳴し合う舞台だった。楽しかったね、あそこが泣けたと語り合う人々、はたまた感動を反芻する無言の人、終演後帰路につく人々のざわめきを耳にし、あぁ今日も一人一人の小さな劇場の中で無限の感動が生まれていることを感じた。残り2公演(たったあと2公演!!!)多くの人がこの舞台に触れ、多くの感動が広がっていくことを思い描く。
舞台に携わったすべての人に感謝とともにすべての公演が無事に成功へと導かれますことを祈っています。追補 公演にいらした方はプログラムをぜひ買っていただきたい。初演時における演出家のインタヴューや白崎容子さんの寄稿など、三部作を読み解くだけではない読み物としてお手に取ってください。