先週末、取手混声合唱団とのモーツァルト《レクイエム》を終えた。
なんだかずっと緊張していて、舞台に立つとGPでも体が固くなってしまって自分の体でないみたい。
隣に座る大学の同期であるバスのソリストからアドバイスを受けながら、もしくは緊張している僕のモノマネをされながら、なんとか本番は歌い終えることが出来た。
合唱とオーケストラの響きの中にどっぷり浸かりながら、どうにかうまく歌うことを頭で巡らせていたが、
そうか僕はこの音楽の一つのピースなんだ、と緊張のあまり忘れていた事が目の前を明るくしてくれた。
緊張とは厄介なものだけれども、与えてくれるものあるんだな。
自分の心が開かれればたくさんのものが聴こえてくるもので、
オーケストラの方々は合唱団の声の動きをこちらに耳が見えるほどよく聴いてらっしゃるし、
指揮の山田先生の柔らかい面持ちだけでなく、しっかりと音楽をつかむ呼吸を与えてくれているし、
優しいソリスト達はアンサンブルの道筋をぎこちなくしている僕と一緒に歩いてくれたし、
何より、演奏の大方を占める合唱が美しい音楽の形を作っていた演奏であったと感じた。
音楽は聴こえるものでもあるし、見えるものでもあると思っているのだが
美しい音楽の形とは、心が向かう姿のことをいうのだろうな。
この話はおいおい。
ひとつ大事な演奏が終わり、そしてまたひとつに向けて進もうと思う。
ようこそ、6月。